112.ジャーナリズム”神話” 

  • 2021/03/02(火) 16:55:00

ジャーナリズムというものについて、
私達は、ひどく勘違いしてきたのかも知れない。

社会正義」という言葉があるが、
(※社会正義=人間が社会生活を営む上で、正しいとされる道理。社会的公正とも呼ばれる。)
私達は、いつの間にかジャーナリズムというものにある種の幻想を抱いて期待していたようだ。

ジャーナリストは隠された社会悪を暴き出して勇気を持ってそれを告発し、
社会の不正の諸相を国民の前にむき出しにして見せてくれる。

本来、国家や社会が正常な場合にはどうあるべきか」という「理想の姿」を我々国民に示して、
常に社会を正常な状態へ戻す力(ベクトル)として働く貴重な存在なのだと思ってきた節がある。

だから、「ジャーナリスト」という仕事はとても気高く大切で、
社会悪を見張ってくれていて、嗅ぎ回り、嗅ぎ分け、探り出して白日の下へ晒して、

社会正義を実現するために日夜活動してくれてる立場の人間なのだと考えてきたかも知れない。 

以下は、「ジャーナリズム」と「報道」の一般的な意味合いだが、
ジャーナリズム
=新聞・雑誌・ラジオ・テレビなどにより、時事的な問題の報道・解説・批評などを伝達する活動の総称。
報道
=ニュース・出来事・事件・事故などを取材し、記事・番組・本を作成して、
 広く公表・伝達する行為であり、言論活動のひとつである。
  
しかし、よくよく落ち着いて考えてみると、
この文言の中に必ずしも「ジャーナリズムは社会正義を見守る役割を担う」という、
確かな権威付けや役割、建前や位置づけが有る訳ではない。

つまり、
誰も最初からそんなことを彼らに頼んでもいないし、
そんな立場だと正式に決まってるってもんでもないことに気づくのだ。

元々がそういう職種であるという確たる証拠も権威付も特にあるわけではない。

彼らは自分達で勝手にそう思い込んでるのかも知れないし、
そしてたまには結果的にそういう効果が出ることもあるけれども、

常に社会を見張っていて不正を見つけたら告発してくれるような、
我々にとっての正義の味方で社会悪の監視役的な存在だと決めてかかるものでもないのだ。

つまり、
ジャーナリズム=社会正義の守護神≫などという構図が、確実に存在するわけではない。

ジャーナリズムは、第四の権力」という言葉があるが、
誰も、そんな立場をジャーナリズムという職種に専門に任せたつもりはないはずなのだ。


【コトバンクより】
▶第四の権力=マスメディアは,国民の政治参加を建前とする大衆民主政治
        においては、政治情報の多方向的な伝達者として唯一では
        ないが,不可欠の地位を占めている。
         われわれが受け取る政治の情報のほとんどはマスメディアに
        依存している。
        これが,立法・行政・司法の3つの権力と並んで「第4の権力」
        としばしば呼ばれるゆえんである。

【Tactical Mediaより】
▶第四の権力=通常、国民は三権の活動をリアルタイムに知ることはできません。
         そこで、日々ニュースでその活動内容や問題点を広く
         知らせることで、国民の知る権利を担保するというのが、
         「第四の権力」たる報道機関の使命です。

          国民は、報道機関の報道内容を踏まえて、三権の活動
         内容を評価し、次回の投票に反映していくことになりま
         すので、マスコミなどの報道機関は、立法と行政、司法
         といった3つの権力が正しく機能しているかをチェック
         し、事実を報道する義務があります。

          しかし、昨今、第四の権力である報道機関の存在意義
         が揺らいできています。

          本来、報道機関がすべき「事実を正確に伝える」という
         ことから逸脱し、自らの思想信条のために「事実を捻じ
         曲げ」、あるいは「事実の都合の良い情報だけを切り取る」
         ことで、印象操作をしたり、自分たちにとって都合の悪い
         情報は報道しない「報道をしない自由」を行使したりする
         ケースが目立つようになってきています。

          フェイクニュースという言葉も生まれたように、結果と
         して報道機関が「国民の知る権利」を阻害し、報道機関が
         政治信条に基づき、意図的に国民の考えをミスリードしよ
         うとする動きが活発化してきています。

          その結果、物事の本質を捉えず「木を見て森を見ない」
         ニュースがテレビ・新聞などに溢れている現状です。

          中立的な立場で「事実を伝える」報道機関はすでに
         過去のものになっており、「第四の権力」はその存在意
         義をなくしていると言っても過言ではないでしょう。




つまり、今の社会で起こっている錯覚の一つはジャーナリスト達が、
自分達は、社会悪を告発し、是正する、社会正義の実践者たる存在だ。」と、
勝手に自認してることではないかと思うのです。

常に上目線で国家社会を眺め、
社会正義を守り抜く立場だと勝手に自認しているのを感じるのである。

確かに、
優秀なジャーリスト達が稀にそういう働きをすることはある。

ニクソン大統領をウオーターゲート事件で弾劾まで追い詰め辞職させたのは、
ワシントンポストの二人の記者の手柄だったことは有名な話である。

取材を重ねて隠された不正と真実を暴き出し、
時の大統領でさえも不正を許さない、というジャーナリズム神話は、
その他にもたくさんあるのだろう。

しかし、それを実践し体現するためには、
本来、高い理想と真っ当なものの見方と揺るぎない信念、
さらに、どこまでも真実を求めて追究し続ける姿勢と勇気が欠かせない資質で、
 
それがジャーナリズムとジャーナリストの本質であり、
本懐であり、本領発揮であり、存在意義であるとするならそれはそれでいい。

しかし、
問題は、現状、マスゴミと呼ばれる連中が、
そのジャーナリズムとジャーナリストたる高みにまで達しているだろうか。

彼らが、その任にふさわしい連中で、
現実として「ジャーナリズム=マスゴミ」という図式が成立するかという問題なのだ。

ジャーナリズムを理想化するのは良い。

しかし、それがそのまま日本の報道関係者達の姿にそのまま当てはまるだろうか。

以前、僕は彼らは単なるかわらばん屋に過ぎないと言った。

もし、彼らがかわらばん屋であるなら、到底ジャーナリストなどでは有り得ないのだ。

かわらばん屋は、取材と称してニュースをかき集めてきて、
かわらばん(新聞)が一枚でも多く売れるようにそのニュースを加工し、飾り立て、
消費者の関心を買うように粉飾して売りさばくただの下賤な売文屋の端くれでしかない。

だが、ジャーナリスト達は理想を自分達に重ね合わせてすっかり錯覚していて、
あたかも社会の不正を暴き出し、社会正義をただす役目を担っていると思い込んでる節がある。

長年、新聞社の論説委員を務めたという長谷川幸洋氏でさえも、
高橋洋一氏との対談などを聞いていると、
自身もやはりジャーナリスト神話の暗示にかかっているように聞こえてきて仕方がない。

上目線で社会を概観し、政治を語り、経済を論評するのが習い性になっていて、
「どうあるべき」とか、「間違ってる」とか、「正すべき」と訳知り顔で言い立てる。

しかし、
そこに「どれ程正しい専門性があるのか」、或は「どれ程正しい見識があるのか」。
「どれ程適正な取材があったのか」については、全く保障は無いに等しい。

結論を言えば、
ジャーナリズムやジャーナリストという存在に神話のように理想を期待するのはいいが、
現実に、新聞社や放送局、週刊誌や雑誌の記者として仕事をしている者達の中に、

そうしたジャーナリズムの神話のように、
日夜、身を粉にして社会の真の姿を追い求めている者達がいるのだろうかと、
どうしても思ってしまうのだ。

真のジャーナリズムとかジャーナリストというのはまた一段別の次元の、
稀な資質と才能を持った人材だけが到達し得る境地の話であると理解して、

実際の報道に接していかなければならないのではないかという話なのです。

では次回もまた、よろしくお願いいたします。<(_ _)>


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