121.命の覚悟を持った仲間が欲しい

  • 2021/03/26(金) 15:50:00

僕達には、

いや僕には、

自分の命を賭けて、

自分の一生を全て賭して、

「国を守る」という事に専念しようと決意する気持ちが、
どういうものか理解できるだろうか。

自分の仕事を「国を守る事」にする感覚を僕は理解ができるのだろうか。

それは、
「どれほどこの日本という国を大切に思っているか」という、
愛国心の強さそのものだろうか。

昔、僕が進学について考える年頃になった時期に、
自衛官や、防衛大学校や、自衛隊という発想は全くなかった。

この国を守る仕事を、
自分の一生の仕事として尽くそうという発想はついぞ浮かばなかった。

そういう選択肢を斟酌した記憶はどこを探しても無いのだ。

それは小・中学生の頃、
はなから「この国が危ない」とか「国は守るものだ」という発想が、
そもそも皆無だったからだろう。

国が、一つの単位としてさえ本気で見えていなかった。

「日本」は当たり前に「大丈夫」な郷土そのもので、
大きなしっかりとした国家であり、

揺るぎない強固な山河であった。

その事に少しも不安がなかったし、
安心しきってただ真面目に自分は勉学に勤しみ成長していけば良かった。

当たり前に高校へ行き、普通に大学へ行き、
将来は、何か安定した仕事に就いて生きていくのだろう、と。

そんな漠然とした展望くらいしか浮かばなかったし、考えてなかった。

大人は誰もそれ以上の想いを僕に要求することはなかったし、
それだけで何も不都合なことはなかった。

それはやはり、
教育が完全に骨抜きにされてしまっていたからなのだろう。

私の父は戦争の時代も過ごした人だったが、
その頃の話はあまり話したことがなかった。

国を守るという事について、
私達子供達に詳しく話して聞かせることはなかった。

それが何故だったのかはわからないし、
今はもうその時の気持ちを知るよしもないが、

戦後の、
暮らしが少しずつ楽に、のびのびと、豊かに、
明るくなっていく社会に身を置きながら、

私達子供達に対して、
「兵隊」になる事について語る気にはなかなかならなかったのかも知れない。

私達子供達は、
ただ自分の将来について自由に考え、希望し、

自分の努力に応じて開けることが約束された未来だけを、
ただそれだけを考えていれば良かった。



そして今、
隣国たる朝鮮半島の民族のタチの悪さに、
日本人が長年に渡って何度も煮湯を飲まされてきた事が知れ渡り、

戦争に向かう時期に大陸の中国人の汚いやり方に、
日本人がどれほど苦難を強いられたかも伝わるようになって、

二度に渡る原子爆弾の投下も、実はひどい戦争犯罪でしかなく、         
東京裁判が理不尽で、戦後レジームの縛りもけして正当でないと、

多くの国民がやっと実感することができるような時代になった。

でも気づくと、早75年を過ぎるその間に、

息の根を止められることなく生きのびた共産党勢力が、
好き放題に汚い根を社会に張りめぐらしてしまっていて、

戦後の空虚な反戦教育に毒された大量の半端者達はマスゴミに吹き溜まってしまい、

中国人や朝鮮人と連動して動く売国奴と反日勢力もすっかり調子づいていて、
国民の多くがいよいよ嫌気がさして我慢がならないところにまで来てしまっていた。

だからこそ、
僕もやっと偽りの平和に気づきはじめ、
「国を守る」ということの意味の重大さが見えはじめたのだった。

「国家」というものの独立と、危うさと、防衛の重大さが緊迫の度を増すことで、
「戦後教育」の空虚さも次第に明らかになってきた。

でも僕はもう、勇壮な戦士としては役に立たない。

自分なりに家族のために最後まで戦う覚悟はあるものの、
悲しいけれど、到底、国土を守る役には立たないだろう。

では、誰がこの国を必死になって守ってくれるのだ。

バイデンとかいうボケ老人の頭がはっきりしている時に、
アメリカの若者達の命を借りて守るつもりなのか。

そんなわけにはいくわけもない。

私達の国は、日本人の若者達の力を頼りにしなければ、
到底守りきれるものではない。

そんな折にも性懲りも無く、
「国防」を国民に毛嫌いするように仕向ける共産党や公明党、野党やマスゴミは、
  
自衛隊の予算をあくまでも1%に封じ込め、
目を皿のようにしてその執行状態を見張り続ける。

左翼という知的に幼稚な連中は「自由」の意味を勘違いして暴走し、
「国防」をすっかり身動きできなくさせてしまっている。

今、その75年の呪縛と自己暗示を解き払い、
正面切って「自分の国は、自分の命で守る。」と、
宣言する時が来たことに全国民が気づかなければならないのだろうと思う。

「軍隊を持つと、それは自動的に戦争を始める。」などと馬鹿な事を言ったのは誰なのだ。

おりしも3月21日は、防衛大学校の卒業式で、
約500名の若い自衛官が誕生したという。

その事を心から祝福するとともに、
その力強さに全国民をあげて感謝したいと思う。

我が国の自衛隊員は約25万人、予備自衛官を含めても30万人弱と言われるが、
いまだにその募集に関しては障害も多く、どの地方自治体も極めて非協力的だという。

隊員を募集するために必要な中・高校生の卒業者名簿は、
何故か気持ち良く渡してもらえず、

関連するイベントは公共施設やショッピングモールからも閉め出され気味で、
会場貸しを渋られることも多いという。

制服のままで電車に乗るとなぜかすぐに部隊へ抗議電話が入るというし、

自衛隊の車両は抗議が殺到したために、
“はたらくじどうしゃ”の絵本にも載せてもらえない。

宿舎のトイレットペーパーが足りなくて、
隊員達持ち寄りでしのいでいたという話はあまりに有名で恥ずかしい。

そんな風に至るところで共産党の息のかかった人間を中心として、
全員が総がかりで自衛隊を貶め、冷遇し、気力を削ぎにかかる。

「国防の熱意」の邪魔をし続けてるのだ。

日本学術会議も、長年、防衛大卒業生の国立大大学院への進学を排斥し、
国内の研究機関から「国防」に関わりそうな研究を監視して排除し続けてきたと言われる。

それにつけても、
共産党」という売国奴連中をまともに相手して、
世界でも稀な政党を維持させている日本という国は、

どれほど正常な政治意識、国防意識、歴史の教訓から遠く引き離され、
狂わされてきた国であるかの証のようである。

アジアの片隅に位置するこの世界一歴史ある、豊かで、輝かしい小国は、

すぐにでも必要十分な額を国防費に振り向け、
自国を守る国民の意識を確実なものに組み上げ、

ならず者や人さらい、たかるだけの無法者といった近隣民族が忍び寄って来るのを、
断固としてはねつける力を一日も早く身につける必要があると思うのだった。


では次回もまた、よろしくお願いいたします。<(_ _)>


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120.嘘が平気な殺戮者と意気地がない私達の代表

  • 2021/03/21(日) 06:25:00

アメリカが改めて本気で中国を叩き始めた。

アラスカへわざわざ呼びつけて、
今この時期に言わんきゃならないことを立て続けに正面切ってぶつけてくれた。

それでも「希代の嘘つき連中」は全然ひるまない。

しらばっくれて、大袈裟に怒ったふりをして、相手を非難し返し、

「どっちもどっちだ。文句を言うな。」、
「お互い自由だ、干渉するな。」と開き直る。

さすが、
300万人以上と言われるウイグル人を強制収容し、
虐待・殺戮、臓器抜き取り、民族浄化を平気でやるクソ民族の代表だ。

ヒトラーのホロコーストが約600万人だとすると、
既にもうその半数を越える蛮行をしでかしていながら、
「まだなんとかなる。」、「乗り切れる。」と本気で思ってるんだろう。

これは、
我々自由世界の罪なのだ。

こんな悲惨な事になるまで放っといたのだから、
本気で急がなきゃならない。

いつだって気を抜いて、油断して、努力せず、
遊び呆けて、楽な事だけしていたら、

気づいた時には「亀」にだってひどく惨めに負けてしまうと、
いずれ大きな代償を払う事になると。

誰もが遠い遠い幼な子の頃に見せられた初歩的絵本で、
既に学んだハズじゃなかったのか?

それにつけても、
アメリカに泣きついて、告げ口して怒ってもらっても、
自分はニコニコしながら「シェイシェイ」言ってるだけの日本の外務大臣(茂木敏充)。

「懸念」して、「注視」して、「遺憾」に思ってるだけの総理大臣(菅義偉)。

中国の蛮行に対して「私から言及するつもりはない。」と、
正面切って言っちゃう与党幹事長(二階俊博)。

サムライ日本の毅然とした矜持はどこへ行ってしまったんだ。

おまけに、
LINEは情報が抜かれるとわかったのに、
「私はこれからも使い続ける。」と胸を張るデジタル改革担当大臣(平井卓也)。

「プラスチックは石油から作る。」とやっと知ってうれしくて、
プラ食器狩りにまい進する環境大臣(小泉進次郎)。

富裕老人を介護名目で大量に中国へ連れ出して、
中国人による資産狩りに手を貸す準備を着々と進める与党幹事長代行(野田聖子)。

その間にも、海上保安庁の職員と漁民は、
中国海警局の76ミリ機関砲の前に無防備でさらされ続けている。

こんなに情け無い日本になってしまってる事を、
我々国民が真剣に、切実に、シビアーに、問題として今受け止めなければ、

日本の将来の希望は、
「もう既に時間切れが近い」、「取り返しはもう効かないだろう」という悪口に、
本当に負けてしまいそうに感じるのは僕だけだろうか?

頼りにならない政治家を選んでいるのは、
私達の周りにいる人々だ。

役に立たない大臣に責任を持たせてしまったのは、
それしか人材を育てられず、送り出せない国になってしまったからだ。

儲けしか頭になく、国家全体の事などしっかりと考えられない欲深い企業経営者達と、
政治ゲームに明け暮れて、権力と肩書きと自己保身に腐心する大労組の幹部達。

野党はもはや見る影もなく惨憺たる状態で頼りにならず、

学者も官僚も役人も心無く、信念無く、愛国の情も無くしたただのカカシに過ぎない。

教育も半端なまま、大人達も半端で、母親達もすっかり半端になってしまって、
多くの子供達がもう長い間、置き去りにされたまま育ってきてしまったからなのだ。

その間に、
金と脅しと弱みと嘘でクズ民族は至る所で静かに近づき、
そうした不甲斐ない者達ににじり寄り、擦り寄って、

国を売れ、心を売れ、
技術を売れ、情報を売れと言い続け、

土地を売れ、国籍と選挙権を売れとそそのかし、
いつの間にかオセロ・ゲームの角地を取ってしまおうとしている。

そして、
そのいくつかは既に売り払われ、買い漁られ、中国人の手に渡り、
名義が変わってしまっているのだ。

それにあらがい反論する者達は、
逆に何か騒がしくやかましいだけの連中とみなされる始末で、

日本は今、綺麗なお花がたくさん咲き乱れる、
とてものどかで幸せな社会になってるような気分にさせられるばかりなのである。

僕はこの先、
ブログを書く以外にいったい何ができるだろうか?

けして負けるわけにはいかないのだから!

では次回もまた、よろしくお願いいたします。<(_ _)>


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119.オリンピックを中止させる猛攻撃

  • 2021/03/20(土) 07:00:00

なんとしてもオリンピックを中止に追い込んで、
 世界に対して日本という国に大恥をかかせ、

 国民の気持ちを大きくくじき、国家の自信をつまづかせ、
 経済が回復する要素を一つでも潰したい。


一方で、
来年の北京オリンピックは華々しく成功させて、
中国の見栄えを世界に対して少しでも良く演出しようとする。

今年は、そういう勢力が国内に確実にいることが、
国民が単なる「陰謀論」としてではなくて、実際に実感することができる年となった。

無邪気にオリンピック(1964年)が我が国で開催されることを喜び、
自分達に出来ることにはみんなで精一杯協力してなんとか成功させようとした、

純朴で、無邪気で、素直な日本国民が大半であった時代は、
もう終わりを告げたかのようである。

なんとしても日本オリンピック・パラリンピック(2021年)を中止に追い込みたい人間達がいるんだ。

組織委員会会長を、
本人の言葉として言ったかどうかも分からせないように発言を切り取って、

「女性蔑視だ!」、「オリンピックの理念と違う!」、「国際社会が許さない!」と、
殊更に騒ぎ立てて、とうとうその首をすげ替えてしまった。(2月12日辞職)

その間のマスゴミの騒ぎ方は一種異常であったが、
7年間勤めてもらった挙句、オリンピック開催のわずか5ヶ月前の辞職となった。

続いて聖火ランナーの辞退が、まるで大ごとのように報道され、
森さんを擁護する者も到底声を挙げる雰囲気ではなかった。

そして、今度は、
開閉会式の演出統括者への攻撃である。

一年も前の話が今頃出てきて、
「開閉会式の演出統括者は不適切な発言をする人間だ。」と始まった。

なぜ一年も前の話が、
それも立ち消えになったおふざけ発言が、
今頃、急に出て来るのだろうか?

騒ぎに騒いで開閉会式の演出が不適切だという話にまで持っていけたら、
演出自体の作り直し・やり直しという話も出てきて、

到底、このタイミングで新たに引き受ける者もいないだろうから、
全てが台無しになって間に合わないことになるだろう。

僕には、タイミングを見計らっていて、
やり直しがきかないギリギリの今の時期まで温存しておいたネタなんだろうなぁ、としか思えない。

おそらくマスゴミは、これからもっともっと大げさに騒ぐのだろう。

そして、折あらば、
開閉会式の演出を今のままの内容で行うのは相応しくないから、
新しい案を練り直して、作り直せ。
」という話にもっていきたいのだろうという気がする。
※アイヌが出てくる噂があるので、そこだけは完全に削除してほしいけどね。)
 ( ̄(エ) ̄;)


オリンピック中止で国際社会に対して日本の信用を無くさせ、恥をかかせ、国民感情を傷つけ、
歴史的に明確な国家的汚点として残したいと考えている勢力が確実にいるのだ。

外国からの観客を限定し、武漢肺炎の予防を懸命に実施し、
PCR検査とワクチン接種の効率化を図って、

何としても安全で安心な形で、
日本2021オリンピック・パラリンピックを実施してほしいと思う。

同時に、
我が国の中に調子に乗り過ぎてるマスゴミ勢と売国・反日勢力が、
最大限跋扈した最後の年にする覚悟が国民には必要だとつくづく思う今日この頃なんだ。

オリンピックがはじまるまでまだ4ヶ月余りある。

これからも攻撃はあるだろうなぁ。

施設がらみとか、金の流れがらみとか、
武漢肺炎がらみとか、環境がらみとか、
セクハラ・パワハラがらみとか、選手選考過程がらみとか、

いろんなところに温存してある不都合なネタ話を引っ張り出してきて、
「やめろ!」、「変えろ!」、「交代!」の汚い混成合唱は続くんだろうと思うよ。

覚悟してようね、どっから声が上がるかしっかり見てやろう。ヽ( ̄(エ) ̄)ノ

では次回もまた、よろしくお願いいたします。<(_ _)>


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118.おにぎりとお茶を抱えたオジさん

  • 2021/03/19(金) 06:35:00

朝、
コンビニの店先にいたら、
おにぎりとペットボトルのお茶を懸命に抱えたおじさんを見た。

作業服を着て、おそらくこれから仕事へ向かうんだろう。

そんな、
日夜真面目に仕事をしていただいてる方にまで、

みっともなくも、おにぎりとお茶を抱えさせてしまってる事に、
同じ国の人間として「本当にすみません。」という気持ちで胸がいっぱいになった。

今までタダで入れてくれてたポリ袋に値段がついたら、
そりゃあ「袋はいらない!」と言うだろうさ。

何のためか?何の効果があるのか?本当に必要なことなのか?

確たる検証も、確証もないままに始まったポリ袋有料化。

ただ目立ちたいだけの、
「仕事してる感」出したいだけのアホの思いつきのために、

国中で何万人の真面目に仕事してくれている方達に、
おにぎりやお茶や弁当を惨めに握りしめて持たせる不便を強いることになっただろう。

その愚に、
腹立たしさを超えて、憎しみや怒りさえ感じてしまうこの頃だ。

そして今度は、
スプーンとフォークも有料化するかも知れないという。

どれだけ不便で、どれほどめんどくさくてみっともなく、
どれほど庶民の生活を馬鹿にしてるんだろう。

実際のプラゴミ削減には繋がらないし、
それでも良いんだと本人が言う。

「プラゴミ削減の意識改革につながれば、それで良い。」のだとさ。

あんな馬鹿一人を止められない。

くだらない馬鹿をやめさせられない菅さんに、
僕はそれだけでこの頃、嫌気がさしている。

安部さんをしっかりと支えた人だと思って信頼していたけれど、
やっぱり単に「支えただけ」だったのかと、今思い始めている。

では次回もまた、よろしくお願いいたします。<(_ _)>


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117.アグネス◯ャンはどこ行った?

  • 2021/03/18(木) 09:45:00

確か、
「恵まれない人々の為」とか言って、
ユニセフの名を使って大々的に募金を集めてた奴、いなかったっけ?

たいした仕事もしてないくせに、
真っ白い宮殿みたいな大っきな家に住んで、
かなり優雅で贅沢な暮らしをしてるのを自慢げにTVでも公開してたじゃないか。

だから、
「その金、募金の金をちゃっかり使ってんじゃないか!」って疑われてた奴。

確か、「アグネス」とか言わなかったっけ?

あいつ、この頃見ないけど、
中国人だから息を殺して、目立たないようにしてるのか?

今、ウイグルでのジェノサイドが問題になってる時に、
あの中国女は、この頃全然人前へ出てこないなぁ!

何か、おかしくないか?

あれだけ人権や難民のことを人一倍心配してる顔してたはずの人間が、
今、どうして人前へ出てきて、中国での悲惨な現状を必死で世界に向かって訴えないんだ。

こんな時こそ、
ウイグルの困っている人々について訴えて、
みんなで助けてやろう、とどうして訴えないんだ?

第一、
今、アイツは何してるんだ?

日本の野党なんて、
「人権」とか「弾圧」とか声高に叫ぶだけで何にも考えてないから、
はなから相手にしても何にもならないけど、

普段から恵まれない人々を救うために必死に取り組んでるはずの人間が、

日本国民から恵まれない人のためにと募金を熱心に集めてたくせに、
一番大事な時に、何故、人前へ全く出てこないんだ。

息を殺して、目立たないように静かにしてるのか?

そして、
世間が落ち着いたらまた、
何事もなかったような顔して出てきてまた募金を集め始めるのか?

僕は、アイツのことは忘れてないぞ!

アイツに募金なんて絶対しないし!

調べたら、
勲章までもらってるんだってさ。

本当は、ものすごく腹が立ってるんだけどね!(-_-;)

では次回もまた、よろしくお願いいたします。<(_ _)>


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116.傾きはじめた天秤

  • 2021/03/17(水) 06:10:00

僕の話は最近、
報道についてのものが多いかも知れない。

それは一番身近で、一番強く影響を感じるからだろうか。

僕達、一般国民にとっての数少ない情報源であり、

そのため、
ある時は洗脳装置ともなりうるし、
自分の「現在地」を確かめる為の六分儀みたいなもので、

精神的にどうしても依存せざるを得ない「現実感の根拠」そのものなのだ。

それだけ影響力が強く、完全に無視することも難しく、
時には振り回されてしまうものだからなのだろう。



この頃、つくづく思うのだが、
そうした「報道」の持っている国民の世論を構成する力が、
どんどん弱まってきていて、

数少ない本物のジャーナリスト達の発信する情報や見解、
ネットでの膨大な数の素直な反応の数々によって、

人々の受ける現実感の中身が大きく変わってきているのを感じるのだ。

NHKが中国電視台と一体となって嘘を捏造して番組を造って放送し、
民放TVのほとんど全てに朝鮮人が入り込んで日本人のお花畑感を過剰に演出する。

朝日新聞はもう十何年も前から情報を意図的に操作する会社だとバレてしまっていて、
その他の新聞社も売れ行きがひどく落ちて青息吐息であがいている状態だ。

つまり、
既存のメディアのほどんどが「マスゴミ」だと確信を持たれてしまい、
その世論構成力を急速に失い始めているのを感じるんだ。

「そんな事は、もう何年も前からとうに言われてる事。」で、
あなたは今更だというかも知れない。

そうなのです。
もう天秤はどんどん傾きはじめているんです。

そして今、
その最後の一押しが必要なのが、「情弱層」なんです。

ネットを知らないおじいちゃん、おばあちゃん。
新聞を取り続けるのんびり父さん、おっとり母さん。
たまにしか会わない叔父さんや叔母さん。
政治に関心を示さない姉ちゃん、兄ちゃん。
何にも考えてない友達や彼女。

そういった新聞に騙され、TVに目をそらされ、
嘘と捏造と印象操作によって楽天的な雰囲気の世界に生きてる最後の迷子達。

そういう人達を放っておかないで、
真のジャーナリストや評論家の発言を聞いてもらい、
専門家や内部告発者の生の声を知ってもらい。

覚醒し始めた多くのネット民の本音や本質的な怒りに触れてもらって、
情報覚醒の最後の一押しをする補助の役目と責任が僕達にはあると思うんだ

情報弱者の割合は現在、社会の何%になるのかはよくわからない。

でも、
その最後の何%かが自分でネットに情報源を求めてつなぎ
ブラウザーを立ち上げたり、YouTubeを開いて検索をかけるまで、
僕達はのんびりと何もせずに待つつもりかい?

違うのさ。
その人達の数%をオセロのようにひっくり返すのは僕達の役目なんだと思うのさ。

でも、
僕らはけして宣教師や伝道師、教祖や指導者なんかじゃない。

単にほんの少し早くまともな情報に出会っただけの人間に過ぎない。

だから間違っても「偉そうに教えてやる」感に浸って、
説教調で話をしてはいけない。

あくまでも、
楽しく、ためになる「宝物」を見つけた体で、
やんわりと、急がずに、あくまでも優しく、気長に、

ネットの世界へ連れてきてあげると良いと思うんだ。

それがまともな「投票」につながり、まともな「議員」につながり、
まともな政治につながっていくんだと思う。

志村さんの変なオジサンみたいに、
ネットは、良いよナァ〜!?」って言いながら、
にじり寄ってく感じで、、、って、どんな感じヨ、それ?(^_^;)

ねえみんな、そうしようヨ!

では次回もまた、よろしくお願いいたします。<(_ _)>


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115.薄っぺらな言葉の氾濫

  • 2021/03/10(水) 13:35:00

「言葉」には、本来、それぞれに意味があり、
だからこそ、その重みのやり取りに価値が生まれるのだろう。

でも、この頃、
世間を飛び交ってる言葉達を冷静に見ていると、

本来の意味をしっかりと持せてもらえずに、
お飾りの勲章みたいに、ただただ沢山下げられているみたいで、

使い古されて少しサビが出始めた勲章達みたいに、
虚しく悲しい寂しさを晒している。

曰く、
「人権」や「差別」、「偏見」や「平等」。
「自由」や「信頼」、「強制」や「圧力」や「歪曲」。
「民主」とか「革新」、「立憲」や「リベラル」や「護憲」などと、、、。

言葉は「飾り」ではない。

言葉は「アリバイ」じゃないし、「仮面」や「膏薬(公約)」でもない。

言葉は、本心と情熱と知性を表す「息吹」なのだ。

発する言葉は、その人の人間性なのだ。

嘘だと思うならしっかりと見るがいい。

「人権」とか「思いやり」とか「配慮」とか、
耳障りのいい言葉を口癖のように使ってる者達の実に卑しい顔つきを。

人権を踏みにじり、思いやりを見失い、誠実さを装い、ダブスタが平気な、
「選挙」という糊口にすがるだけの、恥を知らないアイツやアイツの眼差しを。

口を開けば、
本来の意味も、力も、熱量も失った言葉の抜け殻を相手かまわず投げつけて、
国会を汚し、報道を汚し、言論界までもすっかり汚されてしまってる。

この上は、新しい言葉を創造するか、
言葉よりも行動をしっかりと注視するしかないのだろう。

何よりもこれからは、
そんな薄っぺらな言葉を次々と口にする奴が、
実際は「嘘つき」で、「不誠実」で、心の腐った「偽者」である目印になることだろう。

「ポリコレ」を振りかざし、「平等」を振りかざし、「差別」をふりかざし、
スパンコールのように言葉で身を飾った偽者達を見かけたら、

そいつらが何を実現したのか。
何を達成したのか。
どれだけの支持を得ているのか。
仲間がどんな連中なのかをしっかりと見ることにしよう。

わずか数%の支持率の意味を理解できずに、
いつまでも能天気に息巻いてられる知性の乏しさは致命的で、

自分達が”少数派のバカだ”とハッキリ証明されてるにもかかわらず、
世間の嘲笑が聞こえないらしい。

そんな強烈なバカさ加減は、
まともな人間には驚くと言うよりは悲しささえ誘う。

その意味で、
「左」とか「右」という言葉だって、
言葉としての重さは元々違いは無いはずだが、今や同じ重みに感じない。

政治的な景色について考えればそれはとても示唆に富んでいて、
右(側)」の者と「左(側)」の者の振る舞いにはかなりの違いが感じとれるからだ。

同じ意味で、
保守」とか「革新」という言葉のセットにも、
それを自認している者達の行動の姿や論理、人間性や成熟度に、
到底、同等とは言い難いレベルの差が感じられる。

自民党の支持率をマスゴミが操作を繰り返して30数%台だと言い張るが、

しかし、何年経っても、
立憲や共産をマスゴミがいかに必死に持ち上げ、悪事を隠してみても、

所詮、わずか数%にしかなれないという現実が、
言っちゃ悪いが彼らの情けない程の実力と実態とが、
既に見透かされてる事実を残酷にも証明している。

彼らがいくら美しい言葉で、理念や理想や主張を声高に繰り返し並べて、
どんなにその身を着飾ってあがいてみても、

ひどくのんびりした国民でさえ数%しか振り向かせられないのだ。

相手を言葉で受け止め、言葉で信用し、言葉で任せる時代は終わりにしよう。

苦し紛れの土壇場でいつも繰り出す姑息な手口や暴力的な振る舞いが、
内面の空虚さや狡猾さ、根強い性悪さを露呈してしまってる。

主張といい、捲し立てる理想といい、やり口といい、政治上の成果といい、
真剣に相手をしたり、見るに足るものはほとんど無いに等しい。

現実のシビアな活動や研鑽に努める誠実さをしっかりと見つめ、
実際の政治的役割と価値、実績の重みに着目し、

政治に果たす実質的成果をこそ重視していくことが大切なことで、
今や行動の重みは完全に違ってしまっている。

政治的に対等な勢力として考慮するほどの連中として、
扱うに値する者達では無い事は明白で、

そう考えてくると、
この頃、「」という言葉と「」という言葉のイメージ自体が、
同じ重さには到底思えなくなってくるのはやっぱり当然なのかもしれない。

では次回もまた、よろしくお願いいたします。<(_ _)>


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114.国の愛し方

  • 2021/03/06(土) 12:10:00

結論から先に言うと、
「私達日本人が、この国を想い、歴史に一体感を持って受け止め、我が国を愛するように、
 遠い彼方の土地で生まれ育ってから来日した他の民族の人々が、
同じように日本を感じ、愛する事ができるようになるのは、
 もしかしたらとても難しいことなのかもしれない。」

つまり、
日本人のこの国に対する気持ち(愛情)というか、感覚というか、情感・情緒の質というのは、

とても特殊で、世界的に見てもひどく変わっていて、
異質で、稀で、特異な性質のものじゃなかと思うのです。

これは単なる私の「個人的な感覚」かも知れません。

なぜ、そんなことを言うかというと、
別に「日本は特別だ。」と言いたいわけじゃなくて、

私達にとっては至極当たり前の「国を想う心」というものが、
案外、「世界的に見ても特異な」というか、

稀な部類の感覚に属するものではないかと感じるからなのです。

そりゃあ誰でも、自分の生まれた土地に対しては特別の愛着を感じるでしょうし、
祖国というものには特別な感情を持つでしょう。

それは分かるのです。

ただ、その場合に比較して、
日本人がこの国に対して感じている「祖国日本」という感覚は、

ただ「この地に生まれた」とか「この国で育った」とかいうことから来る愛着のようなものとは違って、
一種独特な感覚というか、情感・情緒というか、歴史との一体感というのか、誇りというのか、

上手く言葉で表現できないのですが、
日本人独特の国家とのつながりを含んでいるのを感じるのです。

例えば外国では、
比較的短い歴史の国家や文化・伝統の中で育ったとか、
或は、キリスト教やイスラム教の国家観・地域的宗教の影響の元で育ったという場合もあるでしょう。

自分と国家との繋がり・親近感・一体感というのは、
それぞれの土地柄や、文化と宗教、歴史によってもかなりの幅があるでしょう。 

その意味で、
日本という国と、そこに住む私達日本人との繋がりに、
一種、独特なものがあるのではないかと思う訳です。

千年以上の歴史の果てに今の暮らしがあり、多種多様な煌びやかな文化があり、
すごく重たいしっかりとした伝統が残っている祖国日本。

そこに今の自分達がいるという感覚がすごく嬉しいのです。

違うでしょうか?

日本という国の「歴史」。
日本という国の「列島の連なり」。

日本という国の「文化と伝統」。
穏やかで、誠実で、優しくて、おとなしい日本人。

私達の体の中に流れている日本という国家に対する当たり前の愛おしさが、
単にそこに生まれたからとか、その地に馴染んでいるからとかいうようなレベルを超えて、

世界でも特異で稀な、不思議で味わい深い、
特別な国家観を育んできているのじゃないかとつくづくこの頃感じるのです。

何のためにそんなことを言うのだ?」とあなたは疑問に思うでしょうか。
そんなことを言って、何になるのだ?」と。

僕は別に、
「外国人には、日本を真に理解することは出来ない。」とか、
「外人の愛国心と違って、日本人の愛国心は特別上質なものだ。」とか言いたいわけではないのです。

誰にでも愛国心は、その国独自のもので、特別なものだとしても、

僕は単純に、私達が日本に対して感じているこの愛国心を喜び、感謝をしたいと思うのです。

日本人が、祖国日本に対して感じている祖国愛は、
 世界でも稀な、独特な内容のものだと思います。
」と言いたいのです。

「祖国愛なんて、どこも一緒だ。」とか、
「どこで生まれようと、ナニ人だろうと愛国心なんてみんな似たり寄ったり。」と考えがちだけれど、

「日本人が我が国に対して感じている感覚・情緒は、
どこにでもあるものとはちょっと違っているかも知れませんよ。」ということを言いたかったのです。

今まで僕は、
祖国を思う気持ち」というのは、
人類皆、同じようなものだろうと勝手にそう思いこんできた。

自分がこの日本という国をとても大切に思い、
かけがえのない存在だと感じていて、

祖国としてこの惑星のどこの場所よりも大切で、
他の地域や他の国に対するよりも強く強く愛していて、

心が一番安らげる場所だと感じているという感覚が、 
生まれた土地に対する人類共通の感覚のように思いこんで生きてきた。

しかし、この頃、思うんだ。

そういう風に自分の生まれた国を愛する気持ちというのは、 
本当に世界共通のものなのだろうか、と。

その感覚は、実際にはけして単純なものではなく、
一様で、皆似通った一種類のものではないように思いはじめた。

愛国心にも民族や人種、地域や国柄、出自の身分や階級によって、
微妙で様々なグラデーションがあって、

中には「自分の住む場所なんてどこでもいい。」と感じていたり、

「暮らしやすければ良い。」とか、「少しでも金が儲かれば良い。」とか、
「楽が出来ればラッキー。」とか、「うまく潜り込めて食べていければ良い。」などと考えて、

自分の生まれた土地や国を簡単に捨てて、
風の向くまま、気の向くままに世界を歩き、

滑り込んで住み付ける場所ならどこにでも潜り込んでたくましく根を張り、
土地柄や地域性、気候や人々の暮らしぶりなど特に気にせず、

好きに生きていこうとする感覚の持ち主もたくさんいるに違いないと思いはじめた。

僕は、現在、移民だからといって一律に忌避するとか、
外国人が日本に永住することに対して必ずしも悪感情をもっているわけではない。

ただ、
普通に日本人がこの国の国土と文化と歴史に対して持っている愛国の情の性質を、
同じようなニュアンスで理解し、感じることができて愛するのは、
とても難しいことかも知れないと思うのです。

人種や民族の違いだとか、宗教や歴史、文化の違いとかにこだわらず、
暮らしやすければどんどん潜り込めたら潜り込んで、

その地でたくましく根を張り、細かいことにこだわらずに生きていくことが、
易々とできる精神性の人種もたくさんいるということが、
やっと分かるようになってきたように思う。

それは自分の生まれた土地や地域、あるいは、祖国がひどく貧しかったり、
暮らしにくかったり、政治的に圧迫を受けるという事情がある場合もあるだろうし、

生き易い、暮らし易い、楽が出来る、快適だ、などという、
単純に個人レベルの生命力・生活力ともいうべき生き易さだけを求めて潜入し、
日本で生きていこうとする者達も多いというのも事実だろう。

そんな感覚で生きている人間が世界には何十万人、何百万人といて、
移民・難民・帰化という名目で日本にもたくさん押し寄せているだろう。

「自分の生まれた土地にこだわりを持つ。」とか、
「自分の先祖、民族、親族や家族の出自を誇りに思う。」とか、
「民族としての歴史、国家としての歴史にこだわりと誇り・プライドを持っている。」とかいう訳ではなく、 

私達のように生まれ育った祖国日本というものを心の根底にいつも置いて、
自然に感じるかけがえのない故郷としてそれをしっかりと認識して生きている。

生涯そこを出発点として生きていく私達とは異なる、
そんな風には捉えない人間達も増えているのだということに、
やっと思い当たり気づき始めた。 

日本人のように日本を愛する情緒を持てる人間が、
この国を我が国民と一緒になって懸命に支え、楽しく暮らし、命がけで守り、
未来へと伝えていってもらいたいと心から願うのだけれど、

そんな風には住む土地を考えない人間達もたくさんいて、
金さえ有れば(いや、無くても)、国籍も、婚姻相手も、仕事も、済むところも、
簡単に手に入れられる今のこの国の現状を思う時。

自分の祖国を捨てて脱出し、見限って戻る気はなく、
日本に潜り込んで、日本人を相手に家族を持ち、子供を作り、
国籍を取得して、世界一衛生的で、おだやかで、暮らし易いこの国にすっかり馴染み、

平然と、最早、故郷に帰るそぶりも見せず、
我が物顔で暮らす様々な人種が次々と増えていってる感じが、

それを「移民」と言おうと「密入国者」と言おうと、
「不法入国者」あるいは「不法滞在者」、「不法就労外国人」と言おうと、
「政治亡命希望者」とか「在日」言おうと、

彼らが日本から出て祖国へと戻り、
自分の国をより良い国家へと立て直すなんてことを考えているとは思えない者達が、
日夜、目の前を普通に行き来いしている日常を見るにつけ、

日本語を覚えて、日本人のような顔をして、
日本人と結婚して、日本国籍を取得して、
生涯を楽で楽しく、日本で生きていく方がどれほど快適であることか。 

そんな者達が日本人と同じように、
この国の歴史と文化と情緒と防衛を大切に感じ、

伝統を大切にしながら、
この先、この国を将来の子供達と共に発展させていってくれるのかどうかが、
正直、この頃、気になりだしたのだ。   

それ程、日本人にとってこの国土に対する思いが独特であり、
世界でも稀に見る歴史と伝統と文化を有する極めて特異な国であることの意味と価値を、

日本人自体がその特殊性に気づいているのかどうかもとても気になる。

世界のどこにでもある国ではないことを、
国民自体がよく理解できていない上に、

左翼やマスゴミ、メディアというクズ共にいいようにかき回されてる、
この国の政治と法律と教育の不備を不安に思い、

「女系・女性天皇」、「移民受け入れ」、「戸籍制度の改革」、あるいは、「夫婦別姓」などと、
国柄の根幹を破壊する論議を進めようとするクズ共の跋扈に、

さらに外国から来た人間達が、
本当に日本人のようにこの国を愛することができるようになれるものだろうか。

僕はそのことに強い不安を感じてしまうこの頃なのです。

では次回もまた、よろしくお願いいたします。<(_ _)>


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113.TVの見方

  • 2021/03/04(木) 16:00:00

前回の更新後に、
我ながらひどくまどろっこしい言い方に終始してしまって、
いったい、何が言いたいんだ!」とお叱りを受けそうだと気がついたので、

今回の話の前に、
まず前回の内容を簡単にまとめ書きをしておきます。

①もし、ジャーナリズムというものが社会正義を実現する存在だとするなら、
真のジャーナリストと呼べる人物を限定して考える必要がある。
(全てのジャーナリストがその任に該当していると考える必要は無い。)

②私に言わせれば真のジャーナリストと呼んでいいのは、
藤井厳喜氏とか、有本香氏とか、門田隆将氏とか、大高未貴氏とか、
須田慎一郎氏とか、竹田恒泰氏とか、石平氏といった人々の事で、
(※ほとんど虎ノ門のコメンテーター達じゃないか〜ィ!?(^_^;)

それ以外のほとんどのジャーナリスト達は、あくまでも「自称」に過ぎなくて、
社会正義の実現には何の関係も力も持ってない、

ただのかわら版屋の周囲でおこぼれに預かろうとしている、
単なるにぎやかしに過ぎない
と考えるべきだ。

これが僕の言いたかった事の要旨です。<(_ _)>


では、今回の話題。

この頃、僕はTVを見ている時に、
番組を評価するいくつかの視点を大切にしている。

そして、
その評価基準に満たない場合にはチャンネルを替えて他の番組を探すか、

或いは、
TVを消してもっと他にすべきことを探して、時間を有効に使おうと決めている。

以前はあまりそんなことも考えずに、
暇な時にはただ漫然と惰性でTVを付け、映るに任せていた。

しかしこの頃は、
マスゴミの嘘くささや印象操作、
悪どさやCMの多さにうんざりしてしまって、

特に見たいものがない場合には、
大切な時間を潰してはつまらないのでどんどん消すことにしている。
(※でもこの頃のTV、コロナのニュースには、必ずと言っていいほど
 おどろおどろしいコロナの電子顕微鏡写真みたいのを映し出し、
 ワクチンの話の時には、どうして必ずと言っていいほど、
 注射針を腕に深々とさす嫌な場面をしつこく流すんだろうね!?)( ̄(エ) ̄;)

TV番組の評価基準だが、
①まずもって、全国ネットでわざわざ放送する程の価値がある番組か?
②国民にとって見る価値や意義、必要性がある番組か?
③自分にとって必要な知識や見識、或は、癒しや和みを提供してくれる番組か?


僕にとって「全国ネットで番組を作って流す施設・設備・機材とマンパワー」は、
日本国民にとって、本来、物凄く貴重で、価値あるもの」という強い思いがある為だ。

ダラダラと際限なく価値の無い興味本位のクズ番組を相手にして、
貴重な時間を無駄にする上に、

更に、膨大なCMを見せられる気には、
もう到底なれないからネ。

では次回もまた、よろしくお願いいたします。<(_ _)>


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112.ジャーナリズム”神話” 

  • 2021/03/02(火) 16:55:00

ジャーナリズムというものについて、
私達は、ひどく勘違いしてきたのかも知れない。

社会正義」という言葉があるが、
(※社会正義=人間が社会生活を営む上で、正しいとされる道理。社会的公正とも呼ばれる。)
私達は、いつの間にかジャーナリズムというものにある種の幻想を抱いて期待していたようだ。

ジャーナリストは隠された社会悪を暴き出して勇気を持ってそれを告発し、
社会の不正の諸相を国民の前にむき出しにして見せてくれる。

本来、国家や社会が正常な場合にはどうあるべきか」という「理想の姿」を我々国民に示して、
常に社会を正常な状態へ戻す力(ベクトル)として働く貴重な存在なのだと思ってきた節がある。

だから、「ジャーナリスト」という仕事はとても気高く大切で、
社会悪を見張ってくれていて、嗅ぎ回り、嗅ぎ分け、探り出して白日の下へ晒して、

社会正義を実現するために日夜活動してくれてる立場の人間なのだと考えてきたかも知れない。 

以下は、「ジャーナリズム」と「報道」の一般的な意味合いだが、
ジャーナリズム
=新聞・雑誌・ラジオ・テレビなどにより、時事的な問題の報道・解説・批評などを伝達する活動の総称。
報道
=ニュース・出来事・事件・事故などを取材し、記事・番組・本を作成して、
 広く公表・伝達する行為であり、言論活動のひとつである。
  
しかし、よくよく落ち着いて考えてみると、
この文言の中に必ずしも「ジャーナリズムは社会正義を見守る役割を担う」という、
確かな権威付けや役割、建前や位置づけが有る訳ではない。

つまり、
誰も最初からそんなことを彼らに頼んでもいないし、
そんな立場だと正式に決まってるってもんでもないことに気づくのだ。

元々がそういう職種であるという確たる証拠も権威付も特にあるわけではない。

彼らは自分達で勝手にそう思い込んでるのかも知れないし、
そしてたまには結果的にそういう効果が出ることもあるけれども、

常に社会を見張っていて不正を見つけたら告発してくれるような、
我々にとっての正義の味方で社会悪の監視役的な存在だと決めてかかるものでもないのだ。

つまり、
ジャーナリズム=社会正義の守護神≫などという構図が、確実に存在するわけではない。

ジャーナリズムは、第四の権力」という言葉があるが、
誰も、そんな立場をジャーナリズムという職種に専門に任せたつもりはないはずなのだ。


【コトバンクより】
▶第四の権力=マスメディアは,国民の政治参加を建前とする大衆民主政治
        においては、政治情報の多方向的な伝達者として唯一では
        ないが,不可欠の地位を占めている。
         われわれが受け取る政治の情報のほとんどはマスメディアに
        依存している。
        これが,立法・行政・司法の3つの権力と並んで「第4の権力」
        としばしば呼ばれるゆえんである。

【Tactical Mediaより】
▶第四の権力=通常、国民は三権の活動をリアルタイムに知ることはできません。
         そこで、日々ニュースでその活動内容や問題点を広く
         知らせることで、国民の知る権利を担保するというのが、
         「第四の権力」たる報道機関の使命です。

          国民は、報道機関の報道内容を踏まえて、三権の活動
         内容を評価し、次回の投票に反映していくことになりま
         すので、マスコミなどの報道機関は、立法と行政、司法
         といった3つの権力が正しく機能しているかをチェック
         し、事実を報道する義務があります。

          しかし、昨今、第四の権力である報道機関の存在意義
         が揺らいできています。

          本来、報道機関がすべき「事実を正確に伝える」という
         ことから逸脱し、自らの思想信条のために「事実を捻じ
         曲げ」、あるいは「事実の都合の良い情報だけを切り取る」
         ことで、印象操作をしたり、自分たちにとって都合の悪い
         情報は報道しない「報道をしない自由」を行使したりする
         ケースが目立つようになってきています。

          フェイクニュースという言葉も生まれたように、結果と
         して報道機関が「国民の知る権利」を阻害し、報道機関が
         政治信条に基づき、意図的に国民の考えをミスリードしよ
         うとする動きが活発化してきています。

          その結果、物事の本質を捉えず「木を見て森を見ない」
         ニュースがテレビ・新聞などに溢れている現状です。

          中立的な立場で「事実を伝える」報道機関はすでに
         過去のものになっており、「第四の権力」はその存在意
         義をなくしていると言っても過言ではないでしょう。




つまり、今の社会で起こっている錯覚の一つはジャーナリスト達が、
自分達は、社会悪を告発し、是正する、社会正義の実践者たる存在だ。」と、
勝手に自認してることではないかと思うのです。

常に上目線で国家社会を眺め、
社会正義を守り抜く立場だと勝手に自認しているのを感じるのである。

確かに、
優秀なジャーリスト達が稀にそういう働きをすることはある。

ニクソン大統領をウオーターゲート事件で弾劾まで追い詰め辞職させたのは、
ワシントンポストの二人の記者の手柄だったことは有名な話である。

取材を重ねて隠された不正と真実を暴き出し、
時の大統領でさえも不正を許さない、というジャーナリズム神話は、
その他にもたくさんあるのだろう。

しかし、それを実践し体現するためには、
本来、高い理想と真っ当なものの見方と揺るぎない信念、
さらに、どこまでも真実を求めて追究し続ける姿勢と勇気が欠かせない資質で、
 
それがジャーナリズムとジャーナリストの本質であり、
本懐であり、本領発揮であり、存在意義であるとするならそれはそれでいい。

しかし、
問題は、現状、マスゴミと呼ばれる連中が、
そのジャーナリズムとジャーナリストたる高みにまで達しているだろうか。

彼らが、その任にふさわしい連中で、
現実として「ジャーナリズム=マスゴミ」という図式が成立するかという問題なのだ。

ジャーナリズムを理想化するのは良い。

しかし、それがそのまま日本の報道関係者達の姿にそのまま当てはまるだろうか。

以前、僕は彼らは単なるかわらばん屋に過ぎないと言った。

もし、彼らがかわらばん屋であるなら、到底ジャーナリストなどでは有り得ないのだ。

かわらばん屋は、取材と称してニュースをかき集めてきて、
かわらばん(新聞)が一枚でも多く売れるようにそのニュースを加工し、飾り立て、
消費者の関心を買うように粉飾して売りさばくただの下賤な売文屋の端くれでしかない。

だが、ジャーナリスト達は理想を自分達に重ね合わせてすっかり錯覚していて、
あたかも社会の不正を暴き出し、社会正義をただす役目を担っていると思い込んでる節がある。

長年、新聞社の論説委員を務めたという長谷川幸洋氏でさえも、
高橋洋一氏との対談などを聞いていると、
自身もやはりジャーナリスト神話の暗示にかかっているように聞こえてきて仕方がない。

上目線で社会を概観し、政治を語り、経済を論評するのが習い性になっていて、
「どうあるべき」とか、「間違ってる」とか、「正すべき」と訳知り顔で言い立てる。

しかし、
そこに「どれ程正しい専門性があるのか」、或は「どれ程正しい見識があるのか」。
「どれ程適正な取材があったのか」については、全く保障は無いに等しい。

結論を言えば、
ジャーナリズムやジャーナリストという存在に神話のように理想を期待するのはいいが、
現実に、新聞社や放送局、週刊誌や雑誌の記者として仕事をしている者達の中に、

そうしたジャーナリズムの神話のように、
日夜、身を粉にして社会の真の姿を追い求めている者達がいるのだろうかと、
どうしても思ってしまうのだ。

真のジャーナリズムとかジャーナリストというのはまた一段別の次元の、
稀な資質と才能を持った人材だけが到達し得る境地の話であると理解して、

実際の報道に接していかなければならないのではないかという話なのです。

では次回もまた、よろしくお願いいたします。<(_ _)>


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