84.それが信仰というものだろうか?

  • 2020/12/10(木) 19:00:00

毎朝、僕は仏壇にお線香をあげて仏様に手を合わせる。

仏様とご先祖様と両親に心を込めて昨日の家族の無事を感謝し、
今日一日の安全と平安を見守っていただくことをお願いする。

そうしてやっと、
安心して一日が始められる。

宗教って不思議なもので、
そうやって心を落ち着けて一心に祈ることで、

心は穏やかになり、すっかり安心して一日を歩みだすことが出来るんだ。

もし、
僕の宗派のお寺のお坊さんが訪ねてきて、
「素晴らしい人がいて、今度選挙に出るんだけど応援してくれないか。」と言われたらどうするだろう。

その人の人柄や政策や生き様を詳しく聞いて、
その上で納得したら選挙運動を手伝うかも知れない。

選挙事務所の手伝いから、広報活動から、
ビラ張やポスティングまで熱心にやるかも知れない。

でも、
その立候補者が良く理解できない人物だったり、あまり応援したいと思えない人物だったり、
政策に賛同できなかったりしたら、そうはっきりと告げて手伝うことを断るだろう。

創価学会は、そういうことが出来るのだろうか。

自民党が創価学会を引き連れているのは、
勿論、政策での共通する点も多々あるのだろうけれど、

選挙の時に票が安定していて読みやすいということがあると聞いたことがある。

つまり、
多少、政策面で公明党に譲歩したとしても連合していた方が、
選挙の時の協力体制や候補者の票の獲得に確実性が担保できるらしいのだ。

勿論、
政治は、最後は「数」であるだろうし、勝たなければ政策は実現できない。

私は創価学会の信者ではないので、
この宗教が信者達にどれほどの選挙協力を要請するのか実際のところは知らない。

知らないくせに憶測だけで滅多なことは言えないのは分かっているが、
選挙が行われる度に選挙体制に組み込まれた信者達への負担の噂は実際によく耳にするのだ。

事実、選挙がある度に必ず知り合いの信者からは、
候補者や政党への投票の依頼の電話がかかってくるし、

二回に一回は遠いところからわざわざ車でやってきて、
聖教新聞の切れ端を持参して、「ぜひ時間のある時に読んでほしい。」と置いていく。

選挙の時に票が読みやすいということは、
逆に言えばそこには宗教とは別の拘束力が働くということでもあるだろう。

「鰯の頭も信心から」と言う言葉もあるけれど、
人が何を信じようがそれは全くの自由なわけで、

数多い宗教のどれを熱心に信ずるかは完全に自由なはずだ。

そして、
宗教と言うのはあくまでも信者に心の安らぎを与える存在であるはずで、
「信仰の強さ」を人質に取って、信者を思うように使いまわすような存在ではないはずなのだ。

家族の事、将来の事、健康や仕事、人間関係などと、
人間にはたくさんの不安と悩みと願いが尽きずに存在する。

そうした時、
何を信じ、心の支えとして生きていくのかは、、
あくまでも信じられるものとの出会いと当人の心との化学反応で決まってくる話であるだろう。

その時々で、自分の力の及ばない領域の行末に関して、
少しでも望むような方向や結果になるように願う思いは誰もが自然に持つものだ。

宗教というものの存在意義を私なんかがどうこう蘊蓄(うんちく)を垂れる資格も能力もないし、
他人の信仰をどうこう言うのもおこがましいが、

何千年前も前から人はそこに救いを求めてきたはずではないのか。

もし、
創価学会が「宗教」だというのなら信者の皆さんの人生における不安や苦しみ、
悩みや苦痛を少しでも和らげたいという必死の願いを大きく受け止めて、

それらを優しく受け入れて、心を少しでも楽にしてあげるのが、
「宗教」というものの姿であり、価値であり、役目であるだろうと思うのだ。

だから、
人は、お布施も払うし、ロウソクやお線香も灯すし、
頭を下げ、ひれ伏し、手を合わせ心を込めて一心に祈るのだ。

しかし、
その気持ちを利用して、
選挙のたびに候補者周りの支援から、知り合いの家を回らせての街宣運動から、
自らの投票権までも選挙結果につなげさせようとすれば、

それは、
信仰を受ける立場として恥ずべき行いということが言えないだろうか。

それが、
本人の願いや望み、心から応援したい候補者であるという場合なら、
ある意味、当然の取り組みと言えるのだが、

候補者の事もよく知らず、信者であるというだけで時間を拘束されて、
選挙運動の手伝いをさせられるとしたら、

それは「宗教として、お門違い。」といえるのではないかとどうしても思ってしまうのだ。

それが、
長年、僕の中でくすぶっている思いなのである。

では次回、またよろしくお願いします。<(_ _)>


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72.創価学会って何者?

  • 2020/11/15(日) 18:00:00

自民党と一緒になって与党の一員という顔をしているけれど、

自民党が本気でやろうとすることにいつも変なブレーキをかけて、
切り口や決定を一段も二段も甘くするような圧力をかけるというイメージがどうしてもつきまとう。

裏で中国や朝鮮と妙に仲が良いという話もあるし。

何故、公明党の言う事をそんなに尊重しなきゃいけないかというと、

選挙の時に、与党として一緒に戦えば協力が得られて、
得票数の確実性が増すと言われているらしいのだ。

つまり、
選挙の時に助かるからというのが理由らしい。

しかし、それが事実だとしたら、
自民党の議員候補がドブ板選挙的な取り組みを普段からしていない、
或いは、してこなかったからいけないわけで、

もっと地元の村民、町民、市民、都道府県民と密に関わって、
自分の足元の信頼と支援をしっかりと固めるようにして政治をする議員になればいいのだろうと思うのだけれど、

自民党議員の闘い方のまずさや、力の無さ、政治家としての取り組みの甘さを補うために、
公明党の言うことにある程度、配慮しなきゃいけなくなってしまってるとすれば、

それは、本末転倒で、
せっかく当選しても思うように政策を進めることが出来ないならば、
何のための議員生活なのか、って話だと思うんだ。

単純に、
自民党議員のだらしなさ、地に足がついてない力不足で、

公明党にコバンザメのように引っ付かれて、
煮え切らない政策を繰り出し続けるのならば、

それより先に、
若手(?)議員の政治や政策への取り組み方をしっかりと指導し育てあげて、
取り組み自体を強化する必要があると僕は思うんだけど、違うのだろうか?



公明党は公明党で、
宗教と政治は別物として、建前は「政教分離」を謳ってはいるけれど、

内部での選挙時の締め付けの強烈さは噂にも聞いているし、
知り合いに学会員が何人かいて、選挙の時には毎回、必ず訪問を受ける。

でも、
本来、宗教とは信仰が心の中心になっている存在のものなのに、
それを政治の勢力を維持するために利用し、強制力を働かせるというのは、

筋違いというか、卑怯というか、基本的に間違ってると思うわけで、

そんなやり方が政治活動として許されている事自体がおかしくて、
強制する方も、されて従う方もその辺を大人としての自覚を働かせて、

きっぱりと切り離して、自由に政策自体、議員自体を真正面から見据えて、
判断してほしいと思うんだけど、

そんなことを言っても、
「理想論」だとか「机上の空論」だとかいうことになってしまうのかなぁ。

でも、いい加減こんな政治のやり方は、少しずつ変えていかなきゃダメだろうって思うんだ。

では次回、またよろしくお願いします。<(_ _)>


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