206.「戦争」の見え方(2)
- 2023/04/28(金) 18:15:00
さらなる情報の投入ですが、
それは「栄美麗」というクソ女の存在です。
こいつは蒋介石の女房ですが、
親中派のルーズベルトやその妻エレノアと親密な関係を築き、
アメリカからの有形無形の軍事援助を引き出した女である。
日中戦争中から第二次世界大戦の初頭にかけて日本軍と対峙した
「アメリカ合衆国義勇軍(フライング・タイガース)」の設立にも深く関与し、
また、
大統領の招聘でアメリカ政府の全面的なバックアップを受けながら、
アメリカ全土を巡回して演説し抗日戦への援助を訴え続けた。
つまり蔣介石のスポークスマン兼中華民国のロビイスト的役割を果たして、
アメリカをはじめとする連合国における日本に対する世論に大きく影響を与えたのだ。
更に、
1943年11月、蔣介石・ルーズベルト・チャーチルの戦後の対日処理を決めたカイロ会談にも、
蔣介石とともに同席し、蔣介石の通訳を務めた。
つまり、
太平洋戦争は、真珠湾攻撃から始まったものなどでは全然なくて、
その何ヶ月も前から、既に止めようもない形で始まっていたのだ。
「真珠湾攻撃」が始まった原因は、
「ルーズベルト大統領自身が戦争を望み、そのため開戦を意図し、
日本から開戦を仕向けるために、先に日本が仕掛けざるを得ないように画策した。」という話なのである。
しかし、(1)で書いたように、
戦後に生き残った大人達を含めて、
私達は当然のこと、戦後70年以上もの間、生まれてきた子供達全員に、
「太平洋戦争とは、軍国主義に満ち満ちていた日本が
身勝手にも世界を相手に侵略と略奪の戦争を始めてしまったものだ。」という嘘を刷り込んできた。
NHKをはじめとしたラジオ・TV放送、各種新聞メディア、小中高教育の何もかもが、
事あるごとに日本中にそう言い聞かせ続けてきた。
何度も何度も繰り返し、
『戦争に突入したのは、全て日本が悪かったからだ。
軍国主義に浮かれて、身の程知らずにもアメリカに宣戦布告し、
アジア各地に侵攻して多くの犠牲者を出し、
結果として、
国内は徹底的に爆撃されて焼野原になり、原爆を二発も落とされて、
矢折れ刀尽きて、渋々敗戦を認めざるを得なかったのだ。』と思わされてきた。
だから、
「軍備は危険だ。軍国主義化には気をつけなければならない。」とか、
「中国や朝鮮の人々の記憶と国民感情には、十分に配慮し続けなければならない。
靖国参拝など、とんでもない事だ。」とか、
「アメリカには随分と世話になったのだから、感謝しなければならない。」とか、
「憲法9条は、平和を守るために大切に守らなければならないものなのだ。」とか、
「日本が原爆を保有するなんて、考えてもいけない。」とか、、、。
今でもそんな風に言われると、当たり前のように受け止める国民が再生産され続け、
原爆を落とされたことを我が国民の恥と受け止め、中国・朝鮮に軍事力の整備に文句を言われるままになるのだ。
「靖国」へ行く者達がいつまでも非難され、無防備でひ弱な軍事力を充実させようとする考えが攻撃され、
他国・他民族から国内を好き放題に侵攻・浸食されるに任せることをよしとする論調が、
いつまでも止まずまかり通る始末である。
※靖国神社
しかし、
こうして真珠湾攻撃というものが全く違った姿に見えてくると、
それら戦後教育で始まった日本国民の意識の土台が全く違ったものに思えてくる。
我々の大切な「日本」というこの国家も民族も、随分と舐められたものである。
ある国の指導者(ルーズベルト大統領)が戦争好きな為に、
なんとか開戦してみたくて自国民の犠牲も顧みずに、日本を追い込んでなんとか開戦にこぎつける。
しかし、その開戦責任を全て我が国に着せて、
被害者約45万人以上と言われる大都市爆撃という戦争犯罪も止むを得ないものとして片づけ、
二度に渡る被爆者累計50万人の原爆投下をもわが国が敗戦を認めない為だとの理由で正当化し、
我が国を守るために必死で戦った軍人達の多くを、戦争犯罪人として死刑に葬ったのだ。
私は、今更「アメリカに報復しろ」などと言っている訳ではない。
今まで何度も言ってきたが、戦後70年以上経ってるというのに、
「太平洋戦争が、日本にとってどういうものであったのか」を国としてしっかりと総括しないから、
「いまだに日本国民は、それを正しく理解することが出来ていないし、
正しく受け止めることが出来ないでいる。」のだと、、、。
これらの情報を知ると、
アメリカ軍による日本の市民を何万人も焼死させた苛烈な大都市への度重なる空爆や
二度にわたる原爆投下などの景色が全く違ったものに見えてくる。
さらに、
戦後の広範で苛烈な占領政策の過酷さの意図や米国の必死さの真意も、
またかなり違った様相を呈してくる気がするのだ。
「日本がひどく悪かったから、アメリカも徹底的に空爆したし、
苛烈な占領政策を実施したのもやむを得なかった。」
というロジックは、あまりに単純で、崩れてしまうように感じる。
「実は、日本は自国防衛の戦いに止む無く立ち上がった訳で、
過酷な爆撃を受ける由来など元々無かったのではないか。」と考えてみると、
戦後の占領政策も、
「身勝手に日本に戦争を仕掛け、攻撃したアメリカの意図を徹底的に隠蔽し気づかせず、
それと気づいた場合の日本民族からの壮絶な復讐への恐怖心さえ込められていたのでは。」とも思えてくる。
米国の攻撃は「米国を中心とした戦争犠牲者に対する復讐」というよりも、
「日本からの報復」の恐怖心がその根底にあったとさえ私には思えるのだ。
そう考えると、戦端の事実を隠蔽する意図は勿論のこと、
それまで培われてきた日本民族の伝統的な精神性の正しい伝承と育成を阻み、
「平和ボケして経済にばかり関心がいくような国家・国民性に誘導し、
能天気でお花畑な社会を形成するよう仕向けられてきた。」という側面をまで、
占領政策の根底にある意図を考えてしまうのだった。
「軍国主義的思想を一掃し、日本人の侵略的野望・野心を再教育して是正し、
二度と戦争を起こさない国になるように実施された。」と素直に受け取ることはもう出来ない。
これまで人生の大半を通して納得させられ、理解させられてきた「太平洋戦争」についてのおおよその顛末は、
そうした嘘や隠ぺい、欺瞞、無責任で曖昧な、作り話の情報で形作られた筋書きで埋められ、
今や、埃だらけの物置の奥に片付けられた古臭い思い出のように捨てられたままになっている。
「カリキュラムに無いから」と良く調べもせずに高校の社会科の教師達は、
どこに教育者としての「責任」を捨てて顧みず、いったい職責を果たしたことになるのか。
歴史学者は、
その歴史の真実を求め続ける責任をどんなへ理屈を盾に捨てたままにしてきたのか。
政治家は、どんな都合を理由にして、
国家としての分析と見解を明らかにする責任を放棄して、誇りを建て直さずに来たのか。
親達は、どういう感情や理屈で、
子供達にその時代のことを教えるのを諦め、やめてしまったのか。
焼け焦げて、バラバラになって転がり、折り重なって虚しく死んでいった、
何百万人という我が同胞の亡骸(なきがら)に対して、戦後の我が民族はどう報いて、何を伝えてきたのか。
※ここに、都市大空襲被害の写真を載せようかとも思いましたが、
余りに悲惨で、残酷で、載せるのをやめました。
ネットでは〈東京大空襲 被害画像〉などと打ち込むと、
数限りなく画像が残っていて表示されます。
見るのは大変辛い画像ばかりですが、それは現実に起こったことであり、
その人々の悲惨さ、口惜しさを知ることも、
確かな「覚醒」に繋がる真実の情報なのだという気はしています。
今、現代のどんな政治課題に突き当たっても、
※例えば、・防衛力の整備、充実。
・スパイ防止法の施行。
・共産党の非合法化。
・国籍取得、帰化制度の厳格化。
・歴史教育の充実。
・在日、朝鮮総連等問題。
その根底は、「GHQ」に端を発した戦後の占領政策から始まっている問題なのです。
※折しも、本日4月28日の”あさ八”で取り上げられた「日本学術会議」に
対する厄介な顛末も正にそこを起点として始まった問題の良い例です。
黒塗りの教科書と軍人の処刑、教育者の大量職場追放と広範で大がかりな焚書などは、
「洗脳なんて生易しいものではなく、国家に対するロボトミー手術だった。」とさえ私は考えている。
そうしたGHQによって与えられた傷跡は、癒えるどころかいまだに拡がり続けていて、
戦争の物理的傷跡の多くは見えなくなったが、
精神的な退廃や無関心、虚無と逃避という形で民族精神の健やかさに影響し続け、
与える傷は日増しに変異と転移、変質と深化を続けていて、
私にはいまだに悪化しているように感じられて仕方がない。
彼らは、日本民族の輝かしい伝統と文化、精神に対して、
思いつく限り、出来る限りの、根こそぎ限界まで徹底的に傷つけ潰しにかかって仕掛けた。
「日本が先に戦争を仕掛けた」とするなら、
占領政策の意図もおのずと「非軍事化、軍国主義化阻止」で納得はいくが、
「ルーズベルト(アメリカ)が意図的に日本を戦争に巻き込んだ。」というなら、
占領政策の意図や意味も「再発の予防」ではなく、「復讐心の根絶と恐怖」に過ぎないとも言える。
何度も言うが、
私はアメリカに復讐するべきだと言ってる訳ではないし、
アメリカと敵対するべきだとも思っていない。
全ての攻撃と被害は、78年も前に終わったことだ。
国家・民族への洗脳とロボトミーとWGIPの傷口は今も広がり続けているが、
問題は、「戦後レジューム」からの一日も早い”脱却”である。
この国家的停滞と腐食は、今なお進んでいるが、
それはそれで順次、対処していけばいい。
ただ、私が言いたいのは、
①「太平洋戦争の経緯について国家的総括をしっかりと終えるべきだ。」という事と、
「かつての戦争は、日本が悪かったから制裁され、それも止む無しだった。」と考えて、
「日本人が反省し、改心し、甘んじて被害と責任を受け入れるべきだ。」との、
②自虐的歴史観をなんとか乗り越えなければならないという事なのだ。
今回も、ずいぶんと長くなりましたが、ことほど左様に、
情報の有無によって物事というのは恐ろしいほど全く違って見えてくるという話なのです。
このブログの、私の言うところの「覚醒」とは、
日本国民(日本民族)がこれらの事実に確かに気づくことが出来て、
国家・民族としての自信を取り戻し、真の我が民族らしさを追求して取り戻していく道筋へと、
立ち返っていってほしいという意味なのです。
最後までお付き合いいただいて、ありがとうございました。<(_ _)>
次回もまた、よろしくお願いいたします。
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205.「戦争」の見え方(1)
- 2023/04/18(火) 16:25:00
「日本が何故、太平洋戦争を始めたのか」という疑問に対して、
その辺りの事情を私はついこの間まで詳しく習ったつもりがなかった。
私の出た高校は一応進学校だったが、
歴史の授業は明治の自由民権運動などの民主主義の黎明期について学んだ後は、
内容が特に受験にほとんど関係がないという理由なのか、授業はその辺で突然立ち消えとなり、
そのまま一挙に春休みに突入するといった経緯を辿ったように記憶している。
その為、
私の世代でも特にその時代に関心がある者達以外は、
以下のような通説として流布してる定型ワードを聞きかじった程度でなんとなく納得してしまっていた。
(※ちなみに、奥さんにも聞いてみたが、一応進学校であったらしいが、
戦争についての授業は私と同程度であったという。)
曰く、
◆「ABCD包囲網に対抗した」
※1930年代後半、海外に進出する日本に対抗して行われた石油や屑鉄など戦略物資の輸出規制・禁止による米英蘭中諸国による経済的な対日包囲網。
これにより、国内の石油備蓄分も平時で3年弱、戦時で1年半といわれ、早期に開戦しないとこのままではジリ貧になると帝国陸軍を中心に強硬論が台頭し始めるきっかけとなった。
さらにハル・ノートの提出は、日本側最終提案の受諾不可を通知するもので、交渉の進展が期待できないと考えた日本政府は開戦も止むなしと判断した、と言われる。
◆「軍国主義が蔓延していた」
日清(1895/4)・日露(1905/9)後の戦勝気分が国内にまだ満ち満ちているところへ、
一部メディア(朝日新聞など)による開戦を煽る論調も作用し、なんとしても戦争を回避するという世論が形成しづらかった。
あるいは、
◆「関東(=満州)軍の暴走が止められなかった」
1928年に、関東軍が張作霖爆殺事件を起こし、更に1931年、柳条湖事件を起こして張学良の勢力を満洲から駆逐し、翌1932年、満洲国を建国する。
当初、犬養毅首相は満洲国承認を渋るが、五・一五事件により殺害され、斎藤実内閣は日満議定書を締結して満洲国を承認する。
その後、関東軍司令官は駐満大使を兼任するとともに、関東軍は満洲国軍と共に満洲国防衛の任に当たり、一連の満蒙国境紛争に当たって多数の犠牲を払いながら、満洲国の主張する国境線を守備する。
1936年には、関東軍の編制は4個師団及び独立守備隊5個大隊となっていて、翌1937年の日中戦争勃発後は、続々と中国本土に兵力を投入し、1941年には14個師団にまで増強された。
などという「戦争へ突入する流れを止めきれなかった」という位の事情を聞きかじった程度で、
なんとなく戦争突入の様子が分かったような気分になり、
その為、戦後の占領政策なども、
その正当性や意図、過酷さについてもシビアーに受け止めることが出来ず、
日本の軍国主義的体質とその酷さにそこそこ対応したものであったのだろうと単純に考えるばかりで、
完全に納得はしないまでも、ある程度の整合性があるかのように感じてしまい、
その占領施策に多少の理解さえ示す「一種あいまいな素地」のようなものが、
長い間に形成されてきてしまっていたという気がするのだった。
※竹やりの訓練風景(昭和20年頃)
※東京大空襲の跡
※戦争中の空襲地図
※広島原爆投下の跡
※長崎原爆投下の様子
だからこそ、
占領政策(WGIPや戦後レジューム)の性格や意図、過酷さも、
ある意味、仕方がなかったと思わざるを得ないと諦める傾向も生じるのかと考えてきた。
安倍首相が盛んに「戦後レジュームからの脱却」を叫び、
占領政策によって歪められた我が国のいびつな国体のあり様の是正を目指した姿に触発されて、
やおら占領政策が如何に常軌を逸した異様で過酷なもので、
いかに戦勝国であるとはいえあまりに不条理で横暴で、執拗であったかをわずかずつでも振り返ることとなった。
その意味で、
爆撃被災者約310万人、死者は11万5千人以上、負傷者は15万人以上、損害家屋は約85万戸以上という東京大空襲の惨たらしさも、
合計死者数20万人以上とも言われる二度にわたる原爆の投下も、
歴史的戦争犯罪であるという認識に至る者もそれほど多くはなく、
「軍国主義の日本がそれ程悪かったから、休戦させるためにはそうした酷い制裁も必要だったかも知れない。」という、
自虐的な受け止め方をする者も少なくなかったのだろうと思うわれるのだ。
しかし近年、
いままで考えてもいなかった角度からの新しい情報のピースが、
何度目かの巡り合わせで我々の前に提示されている。

その為、
戦前・戦中の日本の姿勢に単に呼応していたと考えられた戦後処理の内容の過酷さが、
今までとは全く違った色彩を帯びて見え始めたと言える。
その情報とは、
◆「真珠湾攻撃のはるか前から、アメリカが中国を介して日本への大空爆を行なう計画があり、それに気づいた日本がその攻撃阻止のために開戦した。」
という、開戦の経緯に関する情報なのである。
★1『フライング・タイガーこそアメリカが真珠湾攻撃以前から対日戦争に参戦していた何よりの証拠だ。』
伝説の戦闘機部隊「フライング・タイガー」の元パイロットが訪中
(北京市、2007年4月23日15時43分配信 Record China)
4月21日、日中戦争で活躍した戦闘機部隊「フライング・タイガー」の
エドワード元大佐が訪中し、北京航空博物館に訪れた。
フライング・タイガーは中国空軍所属のアメリカ志願兵による戦闘機部隊。
1942年にアメリカ人飛行教官のシェンノート(中国名は陳納徳)氏により創設された。
200余名の隊員からなり、大きな戦果を挙げたことで知られる。
エドワード氏は当時のパイロットスーツに貼られていた布を見せた。
「来華助戦洋人、軍民一体救護(この者は中国を助けるためにやってきた外国人である。
軍人も民間人もみなこの者を助けよ)」と書かれており、
不時着した時などに現地の中国人の助けを借りるためのもの。
実際、多くの隊員が救われたという。
フライング・タイガーの元隊員も中国人の戦友もかつての友情を忘れていない。
87歳になるエドワード氏は今回が19回目の訪中。
「古い友達に会いに来たんだ」と語った。
北京訪問後は各地をまわり戦友たちと旧交を温める予定だという。

1937年7月、米陸軍航空隊シェンノート大尉が退役して中国空軍を指揮。
1937年12月、南京陥落。
1940年12月21日、モーゲンソー財務長官、シェンノートらが米軍人による日本爆撃を立案。
「木と紙でできている日本家屋には焼夷弾が効果的」と意見一致。
1941年5月、統合参謀本部(JB)が対日奇襲作戦「JB355」を策定。
1941年7月23日、ルーズベルト大統領など米国首脳がフライング・タイガーによる日本本土爆撃計画に署名。
7月25日、在米日本資産を凍結。
8月1日、米国が対日石油輸出を全面禁止。
8月下旬、シンガポールに米人パイロット等三百人が集結。
計画では9月下旬に奇襲爆撃決行。しかし機体の到着が遅れた。
11月26日、ハルノート提示
12月7日、真珠湾攻撃
ニュース動画「20/20」のスクープでは、
戦闘機の護衛がなくて目的が果たせるかと疑問が出されていたが、
後に出版された『ルーズベルト秘録』(産経新聞社、2000年12月)では、
カーチス戦闘機350機がロッキード・ハドソン長距離爆撃機150機を
護衛する計画だったと新しい情報を記している。
アメリカ政府がこんなに堂々と対日奇襲作戦を計画し、
実行に移していたというだけでも知らない人は驚くだろう。
しかし、
同じ奇襲作戦といっても、日本側は真珠湾の「海軍力」のみが攻撃目標であり、
しかも直前に宣戦布告をする計画だった。
これに対して米側の計画は、初めから民間の日本家屋を焼き払い、
しかもそれを中国軍の攻撃に偽装しようというものだった。
どちらが「sneak attack(卑怯な騙し討ち)」と断罪されるべきか、
答えは明らかであろう。(06/11/27)(追補12/15)
★2『真珠湾攻撃」の5か月前に
米が日本爆撃計画を「大統領も承認』 (米ABCテレビ、読売新聞 1991/11/24)※米・ABCテレビが「米の責任」論評(ニューヨーク二十二日、藤本直道)
米ABCテレビは二十二日夜の報道番組「20/20」で、
日本軍の真珠湾攻撃の五か月も前にフランクリン・ルーズベルト米大統領は、
中国本土から日本への長距離爆撃計画を承認していたと伝え、
同大統領は日本を意図的に開戦へ追い込んだと論評した。
真珠湾五十周年を前に日本の奇襲を改めて強調する報道が多い中で、
米国の開戦責任を米国側からまじめに論じたものとして異色の番組。
この爆撃計画そのものは一九七〇年に公開された公文書の中にあったが、
その後、歴史家に検証されることなくやみに埋もれていたという。
同テレビは当時のパイロットや大統領補佐官などの生々しい証言を伝え、
米政府が日本への石油禁輸を決めた時期と対日爆撃計画承認が
ほぼ同時期であり大統領補佐官の証言からも、
ルーズベルト大統領が日本を開戦に追い込む意図であったと論評している。
この計画は「JB355」と名付けられ、
1941年7月23日に大統領だけでなく当時の戦争長官、海軍長官なども署名。
ビルマから中国への物資補給路を援護するため中国に雇われた米人パイロット・グループ、
フライング・タイガースを率いるクレア・シェンノート氏がこのJB355計画にもからんでいた。
米政府は日本の弾薬工場や重要な産業施設を爆撃するため、
長距離爆撃機66機を供与するほか、
数百万ドルにのぼる経費や兵員も負担することを承認していたが、
これは当時の米国の中立法に反するという。
シェンノート氏は、この爆撃により
「日本の紙とマッチの軸で出来たような建物を灰に出来る」
と報告していたが、作戦実施に手間取っているうちに真珠湾攻撃が始まった。
※米ABCテレビ 「20/20」-1/2(1991年12月6日放送)
⇒20/20 -1
※米ABCテレビ 「20/20」-2/2(1991年12月6日放送)
⇒20/20 - 2
★3『大戦中の義勇軍「フライングタイガーズ」は
正規の空軍部隊だった。米紙が報道』
(1991/07/08, 読売新聞、ロサンゼルス七日、桝井成夫)
第二次大戦で蒋介石総統の中国国民党軍に協力、
中国南部とビルマ戦線で日本軍機を大量撃墜したことで知られる「フライングタイガーズ」は、
日米開戦半年前の1941年春、米国防総省の承認のもとに空軍基地から集められた
戦闘機パイロット259人による正規の“エリート空軍部隊”だった、
と六日付のロサンゼルス・タイムズ紙が報じた。
同部隊はこれまで、民間義勇軍とされ、国防総省自体、
陸軍省や大統領とのつながりをいっさい否定してきたが、
約百人の生存者が国防総省に史実を認めるよう請願、
このほど退役軍人として認められたという。
同紙によると、「フライングタイガーズ」のパイロットは、
蒋介石の軍事顧問クレア・シェンノート氏によって、
当時の新米パイロットの五倍相当に当たる月給600ドルと日本軍機一機撃墜ごとに
500ドルという破格の報酬で、全米各基地から集められた。
全員は農民や伝道師、エンジニアなどを装ってビルマに集結。
蒋介石政権が米国に借金する形で資金を負担、弱体の中国航空部隊を裏で支えた。
現地で飛行訓練を積んだ後、十二月の真珠湾攻撃直後から国民党軍のマークが入った
P40戦闘機に搭乗、中国南部とラングーン周辺で日本軍機と交戦し、
日本陸軍航空隊の戦闘機など日本軍機296機を撃墜したとされている。
同紙は「フライングタイガーズ」研究家デービッド・フォード氏の証言として、
当時のモーゲンソー米財務長官が取り決めた国民党への一億ドルの融資が役に立ち、
ルーズベルト米大統領経済顧問のロークリン・カーリン氏が
計画全体の調整役を務めたとの見方を示している。
さらに同紙は、
「フライングタイガーズは大統領と米軍中枢の承認を受けている」との
米陸軍航空隊ヘンリー・アーノルド将軍のメモ(1942年)も見つかったとしている。
真珠湾奇襲の半年前に米側が軍事行動をスタートさせていたことを
示すものとして議論を呼びそうだ。
★4『フライング・タイガース』ダニエル・フォード著
【ルーズベルト秘録】《素晴らしいアイデア》
中国国民政府の蒋介石主席の要請から日本空爆というアイデアを得た米財務長官、
ヘンリー・モーゲンソーは1940年(昭和15年)12月19日の
ホワイトハウス閣僚会議のあと、ごく内輪の閣僚にだけ知らせることにした。
フランクリン・ルーズベルトの声がかりで「プラス・フォー」と呼ばれていた
財務、国務、陸軍、海軍の四長官がゆっくりと席に着いた。
モーゲンソーは説得に難航すると思われたコーデル・ハル国務長官にはすでに了解を得ており、
成否はヘンリー・スティムソン陸軍長官とフランク・ノックス海軍長官という軍サイドの堅物二人を
どう納得させるかにかかっていた。
閣僚室の大きな机にまず中国の大きな地図が広げられた。
蒋介石の特別代表、宋子文が提供したその地図には中国南部と
東部にある136カ所の滑走路の位置が記してあり、
※⇒宋子文(ウイキぺデア)
そのうちの一つには日本の長崎、佐世保の海軍基地から
わずか600マイル(約960キロ)と書き込まれている。
モーゲンソーはこれによって航続距離の長い新型爆撃機「空飛ぶ要塞(B17)」なら
日本本土に到達し、爆撃後の帰還も可能なことを説明したのだった。
地図を興味深げにのぞき込むルーズベルトの様子について
「いかにもうれしそうだった」と、モーゲンソーは翌日、宋子文に伝えている。

ルーズベルトはこの日、
「プラス・フォーの間で計画をさらに具体化するように」と指示を与えた。
モーゲンソーは二十一日の日曜日に中国空軍将官や中国軍顧問の
元米陸軍航空隊大尉、クレア・シェンノートらを自宅に集めた。
シェンノートの計画では、爆撃機は米軍パイロットと搭乗員だけで操作し、
まずフィリピンの米軍基地に飛ぶ。
パイロットらはそこで退役扱いとなって中国軍に月千ドルで雇用され、
中国大陸の空軍基地に移る。そこから日本を爆撃するわけだ。
爆撃機の整備に必要な地上要員も米軍が用意し、
名目はともかく、あくまで米軍が作戦を仕切ることになる。
モーゲンソーは目を輝かせて
「日本の家屋は木と紙でできているのだから焼夷弾で焼き払おう。
爆弾より軽いので航続距離が伸びるというメリットもある」と提案し、
シェンノートから「素晴らしいアイデアだ」と即座に受け入れられている。
資料には、「規律と効率を改善するため、
陸軍航空部隊の士官四、五人が早急に必要である。」とも記述。
『JB355』は、大統領だけでなく当時の戦争長官、海軍長官なども署名。
「フライングタイガーズは大統領と米軍中枢の承認を受けている」
との米陸軍航空隊ヘンリー・アーノルド将軍のメモ。
デービッド・フォード氏によれば、
資金源はモーゲンソー米財務長官が取り決めた国民党への一億ドルの融資で、
ルーズベルト米大統領経済顧問のロークリン・カーリンが計画全体の調整役を務めた。
大統領宛
1941年7月18日
カリー大統領補佐官の要請により、
統合本部は中国政府への航空機提供に関する勧告を作成した。
41年7月9日の統合計画委員会報告JB355号に盛り込まれている
この勧告を統合本部は承認しており、大統領による検討のため送付する。
この提案が実現するためには、すでに英国に供与している機材の振り分けに
関する同国の協力が必要であるが、
われわれが推奨する振り分けは克服できない困難を伴ったり、
多大な不利を及ぼすものではないことを特記したい。
われわれはこの報告を承認した。
送付にあたり大統領閣下も承認を与えることを推奨する。
暫定陸軍長官 パターソン(署名)
海軍長官 ノックス(署名)
⇒真珠湾攻撃(カラー)動画
以下、次回へ続く。
今回は、ずいぶんと長くなりましたので2回に分けました。
最後までお付き合いいただいて、ありがとうございます。<(_ _)>
2回目もまもなく配信するようにします。
次回もまた、よろしくお願いいたします。<(_ _)>
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204.「良識」を見定め、信じる力
- 2023/03/28(火) 10:00:00
私は、出来ることならコオロギなんか食べたくない。
地球上の食糧が減ってきて飢餓が広がり、食べるものが次第に無くなってきて、
あらゆる物を我慢して食べなきゃならない時代が来たとしても、
私はコオロギなんて口に入れたくない。
牛や豚や鶏や魚、米や麦、芋や野菜が手に入らなくなってきたとしても、
お腹が空いて、ひもじくて辛い思いをしたとしても、
”コオロギを食べろ“なんて誰にも言いたくないし、自分も最後まで抵抗する。
もし口にねじ込れたりしたら相手を殴りつけてでも絶対に食べないつもりだ。
だがしかし、
本当にこんな事を真剣に考える必要なんかあるんだろうか?
※ベンチャー企業がコオロギエキス・塩コショウで調理した
「乾燥コオロギとミックスナッツ和え」を食べて「美味しかった。抵抗なく、あっさり。」と話す河野コオロギ大臣。(2022/2,徳島市内)
世界の食糧事情が、本当にこんなことまで考えなきゃならないほどひっ迫しているのだろうか。
こんなことをする大臣が実際に存在すること自体が「まともな事」だとは思えない。
“東京”と首都の名がついた新聞が堂々とカラスの肉が「究極のジビエ」だと紹介し、
調理法や生で食べた感想を語る記事が載った、という話は「事実」なのだろうか?

※ニンニク醤油で下味付して囲炉裏でじっくりと焼かれたカラスのもも肉。

※醤油漬けで、驚くほど柔らかく、臭みもほとんどないという生肉の刺身。(上下写真共、2023/3/7、東京新聞TOKYO web )
記事は、カラス肉を食する常連さんの、
「食べ物への偏見は差別につながる。偏見をなくすことが世界平和につながるんです。」との訳の分からない主張を誇らしく紹介して締めくくっている。
これは何かのパロディーなんだろうか?
それとも、何か悪い冗談だろうか?
私にとっては、単なる「悪趣味な悪ふざけ」か、
「4月1日エイプリル・フール用のゲテモノ紹介の嘘記事」としか思えないレベルなのだが、どうもそうではないらしいのだ。
7人制ラグビー、サザン・ヘッドライナーズの女子チームでプレーし、
トランスジェンダー女性であることを公表してるエマ・ファーナン選手のお顔と大柄で逞しい雄姿。

一方、トランスジェンダーの女性選手が試合中に3人の生物学的女性選手を負傷させたとして、高校のラグビーリーグが非難を浴びています。
ティエンハイスクールのヘッドコーチであるコンラッド・カーバー氏によると、
グアムハイスクールのラグビーチームで女性としてプレーしていた生物学的男性が、
土曜日の開幕戦でティエンハイスクールの生物学的女性選手3名を負傷させたというのです。
「トランスジェンダーの選手の体の大きさ、体の強さなど、チームにいるどんな女の子も完全に圧倒していた」とカーバー氏は語りました。
「目撃された攻撃的な性質は、私たちが対処しなければならない問題であることを明確に
示していました。そのグアムハイ高校との最初の試合で、トランスジェンダー選手によって直接負傷した選手が3人もいるのです。」
それ以来、彼はトランスジェンダーの女性が生物学上の女性と対戦することを禁止するよう主張しています。(2022/4/14,ワシントンエグザミナー)
ローレル・ハバード氏は、生まれて30年間、男性として生き、
2012年に性別を変えて33歳でトランスジェンダー女性だと公表した後、競技生活を再開させ、
2017年に米アナハイムであった女子重量挙げ世界選手権で優勝を果たした。
競泳界でひときわ注目を浴びているアメリカのトーマス氏は、3月に女子500ヤード自由形で優勝。
トランスジェンダーの水泳選手として初めて、米大学最高峰のタイトルを獲得した。
彼女は2019年春にホルモン補充療法を開始したが、それまでの3シーズンは、ペンシルヴェニア大学の男子チームで活動し、女子チームに移ってからは、記録を塗り替えている。(2022/6/16,BBC NEWS JAPAN)
1年生時、男子陸上部で72位だったアスペン・ホフマンさんは、
2年生時に女子として出場して、シアトルアカデミーでリーグ優勝した。これがその時の写真。

ノースカロライナ州の女子バレーボール大会で、
女子選手がトランスジェンダー女性選手に怪我を負わされる。
ハイワシーダム校の選手(生物学上の少女)は頭と首に重傷を負い、
視力障害を含む脳震盪の症状が続いていると報告され、
この少女は、主治医や神経科医から再びプレーする許可が出ない状況。
チェロキー郡教育委員会は、5対1の投票で、この出来事を「安全上の問題」とし、
ハイランド高校との残りの試合をすべて中止した。(2022/10/12)
駅のトイレで女性に性的暴行を加えた変質者が、「自分が女性であることを証明するために女性用トイレに入った。」と主張し、刑務所に収監されました。
イアン・ブロック(39歳)は、女性用トイレをうろついても不自然でないように、
犯行時ハイビスカスのジャケットを着用していました。
事情聴取に対し、トイレにいた理由を「今は女性だと認識しているから」と警官に語っています。
彼は2月7日にこの判決を受け、16ヶ月の懲役と10年間の性犯罪者登録の署名を命じられました。
また、10年間の性的被害防止命令も言い渡され、女性用トイレへの立ち入りやうろつき、
合法的な雇用目的以外でのあらゆる種類のハイビスカスの着用が禁止されました。

(2023/2/21、ウエールズOnline,バーミンガム)
「アイラ・ブライソン」(女性の名だ)が、まだアダム・グレアム(男性の名)だった時に、スコットランドで2人の女性をレイプしたとして有罪判決を受けた。
レイプの罪で起訴された後のどこかの時点で、
グレアムは性別を女性に変更することを決めたが、
彼にレイプされた女性たちと弁護士らは、特別に免除されたので裁判中に
犯行時の名前だから、彼を「彼」と男性呼びして以前の名前で呼ぶことを許された。
このレイプ犯は、2月末に量刑の宣告が行われるのを待つ間、女性刑務所に収監された。
言い換えれば、女性への性的暴行の犯罪歴を持つ者が、
女性の集団の中に投じられたのだ(他の収監者と隔離はされたが)。
女性刑務所では「彼女」が刑期を務めあげられないだろうと認められたのは、
あちこちから非難の声が上がった後のことだった。

(2023/2/9,ニューズウイーク日本語版オフィシャルサイト)
大阪市内にある商業施設の女性トイレに入ったとして、大阪府警は6日、戸籍上は男性で、
自覚する性は女性だと説明する40代の施設利用客=大阪府内在住=を建造物侵入容疑で書類送検した。
捜査関係者への取材で「いけないことだとわかっていたが、女性と認められている気がして、女性トイレを使いたかった。」と供述しているという。
容疑者は、職場では男性として過ごす一方、少なくとも10年以上、休日には女性用の服を着て、
外出を続けていたと説明。「女性トイレをこれまでに何十回も使った。」と話したという。
性別適合手術は受けておらず、体と心の性が一致しない「性同一性障害」であることを示す診断書などはなかったという。(2022/1/6,朝日新聞DIGITAL)
今回、触れたのは、
食糧に関する話と、「男女」の概念に関わる話だったけれど、
こうした混乱は、これからも多くの分野で色々とややっこしく起こってくる気がする。
例えば、
・知事が、中国の売れ残り太陽光パネルを日本が大量に買い取れるように
(とすっかりバレてて)、新築住宅の屋根に取り付けを強制しようとする、とか。
・毛沢東に心酔した知事が次々と屁理屈を繰り出して(るとバレてて)、リニアの路線化を阻んで作らせず、中国が先に世界へリニアを売り込めるように画策する、とか。
・家具屋が重要な自衛隊基地のそばに中国人用の一大住宅地を開発・販売して、
自衛隊の行動が逐一漏れるのを助長するような商売を嬉々として展開する、とか。
・迎撃ミサイルを打ったら「ブースターが落ちてきて怪我したらどうする?」と
住民に(屁理屈を)言われ、その抗議も理由にしてイージズ・ミサイル配備をいとも簡単に中止する、とか。
・電力の安定化にも環境保護にもつながらず、脱炭素という戯言にも全く効果のない事を
みんな気づいてるのに、広大な野山を切り崩して太陽光パネルを敷き詰め、
自然破壊と災害の危険を増やし続ける、とか。

(日本最大の岡山県美作〈みまさか〉市メガソーラー、約236ha、約75万枚の太陽光パネル)

(東京都港区メガソーラー)

(宇佐メガソーラー、大分県)
これらの話の展開のどこにも、私には「良識」というものが感じられない。
どの話も正直言って、まともで、正常な判断が働いてるとは思えない。
物事には、どんなに屁理屈を言われても、どんなに多勢に無勢でも、
脅されたり、騙されたりしたところで、
どう考えても「筋が通らない」事というのは、自ずと自然に分かるし、人間感じるものではないのか。
その意味で言うと、
ここで挙げた例は、「まともな判断」とは到底考えられない部類の話なのだが、
当人達も周りも「理屈の迷路」にでも迷い込んだように、本気で止めようとはしない。
しかし、
私達の中には、「常識」というか「良識」というか、冷静に考えてみれば分かる基準が元々あって、
それに照らしてみれば、これらの話は全て直感的に「イカサマ」で「インチキだ」いうことはすぐに分かるはずなのだ。
つまり、
権威ある者がもっともらしい理屈をいくら並べ立てても、
例え、さも真実めかして主張したところで、
「おかしいことはおかしい」とわかる「嗅覚」が私達には元々備わっているはずなのだ。
つまり何を言いたいかというと、
「今の時代、あまりの常識はずれ、良識はずれの屁理屈や物言いに、無意味に振り回され過ぎていないか」ということなのだ。
ちょっと落ち着いて、冷静になって考えてみれば、簡単にわかるようなあまりに馬鹿げた話にも、
必要以上に振り回され、信じ込まされ、騙されてしまっていないか、ということが言いたいのだ。
大臣が「コオロギ食べろ」と言ったり、新聞記者が「カラスはジビエだ」と言ったりすることが、
どう考えてもまともなはずがないではないか。
そんなニュースが「単なる物好き」くらいの扱いで平然と流され、
そのことの異常さや醜悪さ、滑稽さに誰も厳しく突っ込みも叩きもしない曖昧さが気持ち悪いのだ。
もっと良識というものを働かせ、常識というものを信じて、
つまらない屁理屈や世迷いごとに惑わされることなく毅然と即座に判断し、反応したいと思うのだ。
話が常識はずれで、訳のわからない、とんでもないものであるのに、
あたかも何がしかの真実がそこにあるかのように見てしまう「心理的落とし穴」を感じるのだ。
「良識」と言われてきた社会の判断基準が、
そのままの確かさで素直に通用しなくなってきているような不安を覚える昨今だが、
長い人間社会の歴史の中で揉みに揉まれ、獲得され積み上げられてきた常識や価値観が、
そう簡単に意味や根拠を失うとも思えないのだ。
幾つか例を挙げたが、
テキトウなことをまことしやかに言いふらす奴はいつでも居るし、
わが身可愛さでどこまでも嘘を平気でつき通す恥知らずも絶えない。
また、
意味不明な屁理屈を延々とこね回すロクデナシも多く、
人々を惑わし混乱させて隙を狙う悪党も絶えることが無いのが世の中だが、
だからこそ、
より冷静に「当たり前の感覚」で受け止め、判断する姿勢が求められてると思うのだ。
私達一人一人の「良識」や「常識」が試され、感性の”当たり前“感が試されていると感じるのだ。
単に、
「頑(かたく)なになり、変化を嫌う」という意味ではなく、馬鹿げたことに振り回されず、
しっかりと常識を見据えて良識的に考え、
「おかしなことに素直におかしい」と言える冷静な眼差しと、自分の感性を信じる気持ちを持って、
物事の本質を見定める姿勢がより必要になってきていると感じざるを得ないのだ。
・
・
・
すっかりそう思って悲観していたのですが、
世界は少しずつですが、「良識」の側への揺り戻しが始まってきているようです。
ワールドアスレティックス(World Athletics、世界陸連)は23日の意志決定会議で、
思春期を男性として過ごしたトランスジェンダー選手について、
男性ホルモンのテストステロン値にかかわらず、女子陸上競技への参加を禁ずることを決めたと、セバスチャン・コー(Sebastian Coe)会長が発表した。
禁止措置は今月31日以降の国際大会が対象となる。
コー氏は、この問題について国際オリンピック委員会(IOC)や各国の連盟を含む関係機関と協議した結果、トランスジェンダー選手は女子競技に参加すべきではないとの意見が大半だったと説明。
一方で、禁止措置は「恒久的なものではない」とし、トランスジェンダー当事者が率いる作業部会を設立し、
トランスジェンダー選手が持ちうる身体的優位性に関する科学研究の進展を監視していく意向を示した。(2023/3/24,AFP)

欧州連合(EU)の欧州委員会は25日、ガソリン車の販売を2035年以降も条件付きで認める方針を明らかにした。
二酸化炭素と水素を合成して作る液体燃料「e―fuel」(イーフューエル)のみを使用する車両は販売できるようにする。

欧州委は21年7月、乗用車や小型商用車の新車によるCO2排出量を35年までにゼロにする規制案を発表した。
ハイブリッド車(HV)を含むガソリン車の販売を事実上禁止し、電気自動車(EV)や燃料電池車への移行を促す内容で、欧州議会も22年10月にEU加盟国と合意していた。
しかし、
自動車メーカーを多く抱えるドイツが今年2月、イーフューエルを使用する車両は認めるべきだと主張。イタリアなど他の加盟国の一部も同調した。(2023/3/25,読売新聞オンライン)
ほんの少しですけど、「良識」が戻りつつあるようでホットした気分ですが、
まだまだ安心はできませんね。(^^)/
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203.国を思う気持ち
- 2023/03/06(月) 15:40:00
約一ヶ月の御無沙汰でした。
連日、くだらない政治問題が次々と起こってくる状況に、
政治について考える事自体が憂鬱で、苦痛で、辟易して、
その疲労感がたまってきていたので、
勝手に冬休みを取ってノンビリと過ごしていました。
では、そろそろ、また始めていきましょうか。
いたずらに急ぐことなく、ゆっくりとで良いから、
現状を振り返って、考え方や受け止め方の誤解や勘違いに気づいて、
少しでも今後に生かしていければ良いのだと思います。
私はいつから、この国の事を大切に思うようになったのだろうか。
「子供の頃から、ずうっと祖国の事を考えていた。」という訳ではない。
小・中学生だった頃も、自分が我が国に生まれた“ありがたみ”や、将来に対する展望、
日本という国家の特異性について深く考えていたという事はなかった。
人はいつ頃から、自分の祖国というものを意識し始め、それを大切に感じ、
或いは、「自分はどのように祖国と関わるべきか」という事を考え始めるのだろうか。
私は、今、この国のことを大変大切なものと考えているし、
その思いは、「いざとなれば、命を懸けるべきもの」とさえ考えている。
けれど、そうした思いはいつ頃から、どのようにして、
私の内に芽生え、或は、宿り、育まれたのだろうか?
小・中学校でそういう事に関する話を聞いた覚えはないし、
両親と、そういう類の話をしたという覚えもない。
高校の歴史の時間や、大学の教養課程でそんな話になったことも全くない。
ではなぜ、それなのに私の内側には、
『この国はどうしても守り通さなければならないものである。』
『もし、その為に命をかけなければならないことにでもなったなら、
私はやはり命懸けで戦わざるを得ないだろう。』という強い気持ちがあるのだろうか。
この気持ちは、いつ、どんな風に、私の内面に育まれたのだろう。
誰に教わったわけでもなく、誰かの話をじっくりと聞いた訳でもなく、
誰かと懸命に論じ合ったという訳でもないのに、、、。
私の内側には、いつからか祖国日本の為に命を賭ける覚悟がしっかりと出来上がっているのだ。
この思いは、単なる偶然に生じる者とそうでない者が出来上がるというような、
人によってまちまちで、違いがあって当然な、個人の価値観のようなものなのだろうか?
つまり、
教育によって意図的に育み、育てるような性質のものではなく、
個人の成育歴や環境、個性によってたまたま獲得する者とそうでない者が生じるような、
単なる偶然の産物で、個性の一側面のようなものでしかないということなのだろうか。
そんな位置づけで、そんな扱いで、本当に良いものなのだろうか。
私は、そんな風に考えてはいけないと思うのである。
私の内面を探って、いつ頃から、どのようにこういった感情が芽生えたかを考えてみる。
まず確実に言えることは、
「かつて、この国を守るために命がけで戦った人々がいて、
そして、そのために死んでいった何百万という人々がいる。」という、
歴史的事実に多少なりとも気づいたことがきっかけとして挙げられるだろう。
元寇や日露・日清、あるいは太平洋戦争で、
我が国を守ろうとして必死で戦って死んでいった多くの人々がいたという事実。
敵と対峙し、火炎放射や機銃掃射を浴び、或いは、空襲や原爆によって命を落とした人々。
また、
我が国を守ろうと祖国を遠く離れた望郷の地や海域で飢餓と風土病に苦しみ、
挙句に虚しく散っていった長い歴史上の何百万という兵士達の祈りの積み重ねの上に、
今日の日本が続いていることに気づいた事が、
私を少しずつ「自分もこの祖国日本を守る者の一員だ。」という、
強い自覚の持ち主に変えていったのは事実であるだろう。


つまり、歴史の中の、
「この国を守るために命を懸けて戦い、散っていった多くの先人がいた。」という、
事実に触れる事なくして人は「自分という存在と祖国日本との関わり」を理解し、
実感しないのではないかという気がするのだ。
同じように、
飢餓と闘って作物のすそ野を広げてくれた人々。
極貧と厳寒に耐えて大地を開拓し、領土を豊かな田畑に変えてくれた人々。
岩山をくり抜き、渓谷に橋を架け、切立った海岸を歩いて、
道を造り、水を引き、開墾地を広げてくれた人々。
或いは、
苦難の末に新な技術を獲得し、苦学して技術の視野を広げた人々。
海外へ出て技術や思想を学んで持ち帰り、国を富まし発展させた人々。
そうした先人の血のにじむような苦難と苦渋、貧困と祈り、覚悟と命の跡を知ることでしか、
国民は同じように祖国の末永い平和と安泰、進歩・発展を目指す確かな心意気を持って、
国を愛し、自分の存在と関わらせて考えることは出来ないのではないかと私は思うのだ。
それが「歴史」を知る価値であり、「伝統」を守る意味を理解することであり、
「教育」の重要な役目で、国家を支える国民の強い意志と自覚を築く営みであると思うのだ。
では、そのために「現在の教育」がその機能を果たしているかと問うた時、
教材の中にそれら先人の姿や教訓が考え深く盛り込まれておらず、
祖国日本の為の国民としての立ち位置を自信を持って獲得し、
見事に気概と愛国の情を持つように育っているという気配がほとんど感じられないのである。
そうしたある意味薄っぺらな教育の弊害が典型的に表れている一例が、
「学歴」というものの偏重だと思う。
もう随分前から日本の学歴の世界では、
「東大」というのが絶対的な権威となっている。
「東大卒」というだけで「何者か」であるかのように扱われ、
「尊重」され、「厚遇」され、一目置かれる存在として扱われる。

そして、その東大生は卒業すると、就職先に多くの者が「官僚」を目指すという。
(※過去に、「東大生がナンボのもんじゃ?」でも使用したことがあるデータだが、)2020/9/4
◆国家公務員採用総合職試験の合格者出身大学(職業紹介サイト”キャリアガーデン”より)

※過去を見ても、その傾向が大きく変化している様子はない。

そして、卒業者全員の就職先の様子を見ても、
官僚になる者達の数が依然として多いことがうかがえる。
◆2021年度東大卒業者・修了者就学先上位一覧(東京大学新聞社まとめ)

このため、官僚の世界では東大卒が多く、
主導的立場を担っていると考えてもそれほど大きな間違いはないだろう。
しかし、
私は、けして「東大生が官僚になることが悪い。」と言ってるのではない。
もし、
本当の意味で優れた頭脳の持ち主の多くが政府の「官僚」となって国の運営と舵取りに関わり、
国内外の問題の最前線で大きく貢献してくれるというならそれに勝る幸せはないと思う。
では、
その優れた学歴とやらを引っ提げて多くの者が官僚となった結果として、
実際に我が国の政治状況がどんな風になっているであろうか?
如何せん、正直言って、
「官僚」という職種に対する世間の評価・評判はあまり良いとは言えない。
日本の「官僚」は優秀だから、
「世界的に見ても国家として安泰だ。」と胸張って言える状態ではなく、
政治家のように選挙で選ばれる訳ではないため個人として特定されることがなく、
その為、省庁の力を隠れ蓑に影で国家の動静に影響を与える重大政策を勝手に進める輩であると。
或いは、
すっかり自分達は「上級国民」で「勝ち組」だとばかりに地位に奢り胡坐をかき、
保身と天下りを念頭に省庁利権に働くばかりの存在だと。
「官僚」という者達の立ち位置と気骨や気概の無さ、劣化が次第に知れ渡りはじめ、
「官僚」そのものが国家にとって問題となりつつあるのではないかとさえ私には感じられるほどなのだ。
つまり、
現在の「学歴」が本来の意味の「人材」や「価値」を必ずしも表してないという現状が、
正に、国にとって「優秀な頭脳」とはどういうものか考え直す時期に来ていることを示していると考えるのである。
東大生が多数を占める官僚組織が、実際には我が国の運営に関して、
最善の効果を示してはいないという現実が課題なのである。
私は、東大生を貶めるためにこんなことを言ってるわけではない。
現実に東大生であるから彼らの知能指数は高いであろうし、学力も高く、
事務処理能力は誰よりも一流であるのは想像に難くない。
しかし、
実際に結果を出せない者達がいくら多数集まったところで、
いつまでも我が国の行く末に不安を生じさせる組織運営しか出来ないとなれば、
そこに欠けているものが一体なんであるかを我々は真剣に考えざるを得ないのだ。
最高学府と言われる「学歴」の持ち主の振る舞いが、
国家の正しい舵取りや維持運営に最高のパフォーマンスを発揮出来ず、
逆に阻害さえしているというのなら、今のままの学問を極めることがいったい何の役に立つだろう。
我が国の高度な頭脳が集結した結果が今の官僚体制の体たらくであるのなら、
そこには根本的な欠陥か課題があるはずで、
教育が本来の目的を果たしていないということでもあり、
民族にとって価値ある維持・発展に寄与していないということを示している。
唯々、保身に汲汲として働き、あるいは天下りの下準備に職責を利用し、
退職後の人生設計の算段ばかりを重ねて暮らしているようにしか見えない「官僚」達の姿には、
最高学府の「学歴」にそぐわないひどく醜く、幼稚で小市民的なものをさえ感じ、
国家の意志の体現など叶わず、それに殉ずることなど到底及びもつかないだろうと思わざるを得ない。
では、
そんな薄っぺらい気構えは、どれ程、見過ごされてきたのだろうか。
小・中・高校の歴史の時間も、或いは、大学のゼミの教授でさえ、
誰もそんなことは考えてくれなかった。
カリキュラムにも指導者にも、戦後はそうした力量が求められたことはなかったのだ。
我が国の発展に深く寄与した歴代の武将や政治家、経営者や研究者、偉人・賢人といった、
戦前の「修身」的な要素を包括するような逸話をほとんど聞いたことがないまま子供達は育つ。
戦争に向かった止むに止まれぬ事情や愛国の情についてもほとんど語られず、
国民として大切なそうした話にほとんど触れさせずに育ってきてしまうのだ。
そんな心の通わぬ、事務処理能力検定のような「教育」がなんの役に立つだろう。
単に記憶力や数学、物理や化学、英語力が付いたからといって、
民族としての誇りや国としての在り方、国民としての真っ当な生き方を自覚できるようにはならないのだ。
「教育」の本質と、技能習得や事務処理能力の優劣は、本来、別物である。
人はどう生きるべきか?
人生は何を目指すべきか?
国をどのよう愛するべきか?
国民は何を目指して努力すべきか?
そんなことを一度も考えさせられずに成長する十数年間の教育が、
成果として人間の内面にとってどんな陶冶になるというのだろうか。
そうした薄っぺらな教育だから、
「学歴」のブランドだけで「上級国民」の仲間入りしたつもりになって国民を見下し、
出世競争と天下り、老後の蓄財にしか関心のない生き方をする「人間」が大量に出来上がるのだ。
いままでは「学歴」が、社会のステータスやブランド、権威として価値を持ってきたが、
これからは人物の内面や人間性が評価の核とされなければならないのは明らかである。
冷静になって考えてみれば、
彼らが誇る学力とは、学習能力の優秀さであり、人間性の気高さでも清廉さでもない。
失礼な物言いだとは思うが、
そこには優れた人間性も精神の健全性も愛国心の純粋さも人としての器の質や大きさも、
全くといっていいほど加味されず、保証もされず、関係性もない。
私に言わせれば、ただの事務処理能力上のランク上位者に過ぎない。
国会議員は国民が選挙で選ぶが、官僚は「学歴」だけが取り得なのだ。
議員が常にその動向が注目され、働きぶりが明らかにされるのと違って、
「官僚」にはその緊張感はない。
「学歴」だけを錦の御旗に「官僚」となり、後は各省庁内部の人事対応だけに依存するだけで、
天下国家を語る気概も見識も覚悟も求められず、その「愛国心」に何の保証も担保もない。
省益だけに拘って生き、保身と利権と天下り先と老後の心配だけに生きていても、
国民には何も分からず、「学歴」への偏った尊重の思いしかないのである。
東大だけでなく、日本の主要大学は今の体制のままでは、
将来に渡ってこれ以上立派な日本人を作り出す教育がなされないのは明白である。
教育が、人間教育ではなく「事務処理能力」による「学歴」ブランド獲得の競争に成り下がっていて、
祖国愛や人格形成としての価値観、国民としての責務を自覚させ育む効果が欠けているのだ。
大学だけではなく、小中高校の時点から既に日本の教育は、
互いに横を見て競争を煽り、優劣を競い上位を追い求めさせる原理を是としている。
競争・選別意識ばかりを煽り、進学先を決める場になってしまっていて、
内面の充実、国民の意識や自覚、使命などを語る機会をほとんど持っていない。
誰も教えず、誰も伝えず、誰にも諭されたことがない状態で、
「愛国心」というものが自然に育つのを待つだけでいいものだろうか。
個人的な、たまたま身についたような、極めて偶発的なもので、
人によってまちまちな、確たる根拠も確信もないようなもので良い筈はないと私は考えるのである。
これは私の個人的な試案なのだが、
現在の歴史教育の内容に加えるべき重要な要素・項目があると思うのだ。
我が国の歴史の中に、
いろいろな国難に際して懸命に国を救った人物や人々がいるはずであるし、
我が国の進歩・発展に大きく貢献したと認められる人物もたくさんいるであろう。
そうした歴史上の各分野の偉大な人物についての逸話を、
日本の各時代・各地から掘り起こして精査編纂して歴史の授業と一体化させ、
教育カリキュラムの中にしっかりと位置づけて小さい頃から接する機会を増やし、
成人するまでに常識としてそうした人物について国民周知の逸話として定着させるべきだと考えるのだ。
この編纂作業は、内容について大変な議論となるだろうし、
作業自体も膨大なものとなることが考えられる。
しかし、幼児期の読み聞かせの民話のように、
日本人としての民族の歴史教育の豊かさを担保するものとして、
次世代へと確実に伝えていくべき人物像を選定すべきではないかと考える。
もし、
「愛国心」というものが、けして強制して教えるものではなく、
自然に、偶然に、人によって時たま生ずるのを待つようなそんなあてどないもので、
無理をして強制的に「教育」を通して教え込もうとしたら、
国粋主義的で軍国主義的な、独裁国家のようになったりするものだろうか?
私は、けしてそんなことにはならないと信じる。
昨今、橋下某が、
「戦争が始まったら、命が大事だから、すぐに抵抗せずに国を捨てて逃げ出せ。」と、
盛んにTVで吹聴してると聞こえてくるが、私には怒りしか感じない。
何故なら、
あんな生来のロクデナシがそんな事を平気で力説していられるところに、
日本国民の祖国を思う心の揺らぎや危うさ、脆弱性を感じて、ひどく不安になるからなのだ。
我が国には「修身」という戦後にGHQによって廃止させられた優れた教育の伝統がある。
この「修身」という言葉には古色蒼然とした違和感や不信感が拭えないという向きもあろうし、内容的にも多くの議論があるところだとは思うが、
戦後教育に決定的に欠けている人間的な素養を培い育てるという意味では、
改めてじっくりと考えてみる価値は十分にあると私は信じるのである。

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202.”道具”や”装飾”に使われる言葉達
- 2023/01/26(木) 00:55:00
我々日本人は、世界でも珍しい程「お人好し」で素朴に過ぎたのだ。
しかし、それはある意味、
裏を返せば時として「弱さ」にもなったかも知れない。
多くの国民があまりに善良で、正直で、
あまりに人間の「善意」・「性善性」というものを疑わずに生きてきた。
それが日本人らしさの伝統であったし、社会生活の根底にあったし、
文化や法律の土台に当然のように貫かれていた。
がさつで権利もないのに口を出し、
すぐに訴えると騒ぎはじめる連中と違って、
難癖をつけて金を要求したり、
理屈にならない謝罪や賠償を言い出しせびる民族とは違って、
次々に口から出まかせを言い、金を引き出せたら儲けものと考える連中のように、
昔からすぐ近くにいるそうしたタチの悪い国家や民族供と違って、
日本人は、「言葉」を大切にし、その意味を当然のように信じ、
真心や正直さ、哀れみや優しさを普通に大切にして生きてきた。
だから、最初、
我々は、それを道具とは気づかなかったし、単なる装飾とは気づけなかった。
概念として圧倒的に強固なその道具に抗う「言葉」を持ってなかったし、
平和で伸び切った能天気な心と、無防備で隙だらけの素朴な生き方には、
到底、すぐさま反論するに足る心の準備も自覚も、
ましてや知識やたくましさも持ち合わせていなかった。
曰く、
「憲法を守れ」・「戦争させない」・「戦争反対」・「軍国主義反対」、、、
「徴兵制反対」・「軍拡反対」・「アジアの平和を守れ」、、、
「軍事大国化阻止」・「不安を煽るな」・「対話の継続」と畳みかけられたら、
自衛隊の整備や充実、国防の議論や予算審議もろくに落ち着いて出来なくなるし、
「表現の自由」・「言論の自由」・「思想の自由」・「報道の自由」を守れと言われ、
「人権侵害」・「言論弾圧」と旗やプラカード、横断幕に大書されてしつこく練り歩かれたら、
スパイ防止法や機密情報保護の議論もまともにできないし、
難民保護や不法在留外国人の問題も議論が進めずらくなってしまうのだった。
日本と日本社会がどれほど非人道的で、文化的に未熟で、不寛容で、
いかに時代遅れの酷い国家であるかと言われてるように感じて、
事の経緯を知らなければ、
素直に自分にも心当たりが無いか探ったり、或は生活を振り返り、時代の不安を感じて、
結果、なかなか返す言葉が見つけられなかったりもしてしまうのだった。
しかし、今ならば、
使い古され、擦り切れはじめたそうした“言葉”と冷静に向き合えば、
どれほどその言葉に心がこもってないか、どれほど概形だけを利用したものなのか、
ハリボテの鎧であり、竹の刀であり、狡猾にかき集められただけの、
ただの言葉の羅列に過ぎないと分かるのだ。
本来の意図は、国の政策の順当な整備を遅滞させ、或は、阻止し、
社会不安を大げさに煽り立て、国民の意識の分断を図る手段に使われたに過ぎなく、
まやかしの口実、目くらましの印象操作、偽りの論点ずらしに、
懲りずに利用された言葉の煙幕だと分かるのだった。
もしそこに真の心が有って「人権」・「平和」を叫び、
国同士の争いには最後まで「対話の継続」が本当に必要だと信じて言い張ってるのなら、
「軍国主義反対!」で「軍拡で相手を刺激するな」という主張が本心であるなら、
活動家達は、とうの昔に中国やロシアの大使館前へ出向いて行って、
普段の大声としつこさでウイグル人弾圧やウクライナ侵攻に抗議を繰り返しているはずなのだ。
ユニクロ(ファースト・リテイリング)や無印(良品計画)をはじめとする新疆綿製品、
中国製の大量の太陽光パネルの輸入など、
ウイグルの強制労働で生み出されていると考えられる物品の購入や販売する企業に、
誰が言わなくても率先して必死の抵抗と抗議と撤回を迫る活動を、
連日、激しく展開しているはずなのだが、そんな話は聞いたことがない。
さらに、
新聞の論説記事やTVのコメンテーター達は、中国やロシアを連日、
執拗に激しく非難し続ける姿が見られるはずなのだが、これもあまり聞いたことがない。
沖縄の基地建設に「環境破壊!自然を守れ!」と叫ぶ環境活動家は、
現在、日本中で進められてる多くの太陽光パネル施設や風力発電施設へ出向き、
デモや人間の鎖、パネル搬入阻止や工事車両に対するそれこそ「座り込み」を、
もう何千日も各所で続けているはずだろう。
しかし、
「反戦・平和」・「人権」を声高に言う連中に限って、中国のチベットやウイグル問題、
ロシアのウクライナ侵攻のむごたらしさには、何一つ文句をけして言わないし、
「軍拡反対」・「アジアの平和を守れ」と騒ぐ連中に限って、
ロシアにも中国にも北朝鮮にも、何も言わないし、活動するのを見たことがない。
「人権保護」、「環境破壊」、「地球温暖化阻止」、「
本当の狙いである「社会の混乱と分断」、「反論阻止」のために道具として並べてるだけなのだ。
※破損したパネル(千葉県)
だが、
何度も嘘くさく使われたことでそれらの言葉が擦り切れが目立ちはじめ、
言葉と活動の乖離の姿を見せられた多くの日本人も次第に気づき始めた。
「彼らの使う言葉には、本当に心が宿っているのか?」
盛んに叫ぶ「反対」とか「阻止」、「反戦」とか「弾圧」という言葉が、
単なる装飾で、お飾りの包装紙程度にしか意味がないものだと気づかれ、
国民も「人権」、「差別」、「平和」、「平等」といった言葉の隠れ蓑の後ろに、
本当は誰がいるのかを考えなければならない時期にきていると悟りはじめた。
これからはそういう言葉が使われたら身構えて、事の経緯と裏事情をしっかりと探り、
そう易々とそうした包装紙に騙されない賢さが必要な時代になったとつくづく思うのだった。
次回もまた、よろしくお願いいたします。
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201.「覚醒」のはじめの一歩
- 2023/01/15(日) 18:35:00
新年 明けまして おめでとうございます
本年も どうぞよろしく お願いいたします <(_ _)>
私は、30年ほど前のネット接続の草創期から、
ずっとネット環境の維持を心がけてきた。
電話回線での「ピィーッ・ガーッ・ピィロロローッ」っていう時代からMacで始め、
Windowsへも広げて両OS使いしながらネット・サーフィンを続けてきた。
しかし、それでもひどく恥ずかしいことだが、
退職して朝のゆったりとした時間が出来て朝8時の「虎ノ門」を見はじめるまで、
そこに出演される各ジャーナリストや諸先生方のお話しを伺うようになるまで、
正直なところボンクラで、朝日などの紙メディアの存在を素直に尊重してたし、
NHKはじめ民放の嘘交じりの反日お花畑話に頷き、
極めて真面目に聞き、信じ込み、見事に騙され、
そこに流れる番組を楽しみにさえする一介の中年オヤジに過ぎなかった。
さらに言えば、
現役の頃は、組合の動員にも渋々参加していたし、
「日の丸」・「君が代」を貶す組合員の愚かさには気づいていたが、
はっきりとそれを指摘することはなかなかできなかった。
※「日の丸」と「君が代」

そんな私が、
退職して時間が出来て朝の「虎ノ門」を見るようになってはじめて、
目からウロコが音を立ててバラバラと落ち始め、
ノンポリからの脱皮が驚くほど加速度的に進み、ブログのスキルを持っていたので、
居たたまれなくなってこのブログ「日本の覚醒」を立ち上げることになったのだった。
つまり、何を言いたいかというと、
長くネットに繋がっていたといっても、真に価値ある情報に触れなければ、
それはある意味「情弱」であることに変わりはないわけで、
たいして意味を持つことにはならなかったと言えるのだ。
「国」のやることを素朴に信じ、「政治家」の言うことを素直に信じ、
「教授」や「専門家」・「弁護士」と呼ばれる人間達の言うことを当たり前に信じようとし、
慈善運動には正直にカンパし、「人権団体」と言われる組織には精一杯支援しようとし、
「恵まれない人々」の為に何か出来る事は無いかと常に考える良心的な国民であろうとしていた。
しかし、実際には、
いくらボンクラであっても単なる勢力争いで「総理」に決まり、
ろくな見識もない政治家が簡単に大臣になることを知り、
学歴だけで官僚や裁判官・弁護士が見事に出来上がり、
既得権を持つメディアが平気で嘘を垂れ流す。
「平和」や「人権」、「被差別」や「弱者」を守れと声高に叫ぶ者達ほど金に汚く、
裏には共産党の影がチラつくと気づくのが恐ろしいほど遅れてしまっていたのだ。
要するに、
いくらネットにつながっていたとしてもそれだけでは無意味で、どの情報が重要であるかを知り、
その情報をどのように活用して自分の生き方に生かしていけるかが大切だったのだ。
溢れかえる情報の海原の中から、どういう視点で情報を探すべきなのかを知る。
つまり、
目の付けどころと情報の探り方、そして自分との関わりを理解しなければ何にもならなかった。
永い間、
政治家の愚かさに気づかず、多くの企業家と株主の拝金主義に気づかず、
官僚の上目線と保身、利権と天下りの構図に気がつけなかった。
国家全体の根本的な歪みと不合理、中国・朝鮮の侵攻と法律の盲点、
教育の空疎化と官僚の劣化と腐敗に全く気づかず、
「戦後レジュームからの脱却」という大切な声も、
いい歳をして悲しいかなどこか遠くからのかすかな響きにしか聞こえてなかった。
腐りかけ、傾きかけてる祖国の危うさと、外患にはたいして関心を持たず、
世界一の歴史的国家での平和を十二分に享受している気分で過ごしていた。
その意味で、ネット環境の充実は私を成長させる力とはなっていなくて、
ずいぶんと長い間、当たり前のようにNHKの言うことを信頼し、
朝日をそれなりに尊重し、民放のワイドショウの展開を許容して漠然と納得して暮らしていた。
中国が邪悪で幼稚な軍拡と技術詐取を企み、弱小諸国に買収と恫喝を繰り返し、
朝鮮人が目立たぬように陰に隠れて日本の中枢に潜り込み資産にまとわりつく。
現代日本のまともな進歩・発展と日本民族の繁栄と文化的成熟を阻んで、
希望の足かせになっていることにほとんど気づかず、
何の恐怖も疑いもなく、何の不安も不審もなく、
国を信じ、政治家を信じ、社会システムを信じ、企業と国力を信じ、
教育や教師、専門家や弁護士を信じ、
日本の未来に不安も不振も無く信じ切って生きていた。
社会の基本的な仕組みや構造の「緩み・腐れ」や「経年劣化」、
「構造疲労」や「耐用年数」への「視点」がほとんどなかったのだ。
しかし、
そんな私はいつから「覚醒」を意識するようになっただろう。

やはり、「虎ノ門ニュース」のインパクトは強烈だった。
有本香氏、門田隆将氏、百田尚樹氏、藤井厳喜氏、織田邦男氏、竹田恒泰氏、
武田邦彦氏、石平氏、大高未貴氏、原英史氏、高橋洋一氏、北村晴男氏、
西岡力氏、須田慎一郎、ナザレンコ・アンドリュー氏、金文学氏、
ロバート゚・D・エルドリッチ氏、伊藤俊幸氏、坂東忠信氏、加藤康子氏、
井上和彦氏、飯山陽氏、河野克俊氏、江崎道朗氏、山田吉彦氏、、、。(順不同)
錚々たるメンバー・出演者の皆さんの数々の発言に触れることによって、
新しいものの見方、業界の裏話、メディアからは聞けない話が次々と出て来て、
私の知識への栄養となり、精神の血となり肉となって、
次第に変わっていくことが出来たのだった。
また、
より真実の情報に接したいという強い思いがしっかりと育てられたことによって、
「あさ8」、「闇鍋」、「イカリチャンネル」へと視聴意欲が引き継がれ、
更に、
「文化人チャンネル」、「高橋洋一チャンネル」、「石平チャンネル」、
「インターネットテレビDaily WiLL」、「長谷川幸洋と高橋洋一のNEWSチャンネル」、
「岩田温チャンネル」、「くつざわ 日本改革党 元豊島都議」などへと夫婦二人して関心がどんとんと広がり続けている。
だから望むらくは、
多くの人々が楽にネット環境を活用できるようにはなったのだが、
ネット環境が整っているといってもそれだけで安心していないで、
実際にそのツールを「どの方角へ向けて活用するか」という使い方の面で、
更に着実に的を絞る能力がより多くの人々に広まることが求められるのだと思う。
その意味で、
今回の暇空茜氏のColabo摘発の一件は、
ネット環境が、ある程度広く自由に活用できるようになった利点の証でもあり、
一般人であっても目の付けどころさえ間違いがなければ、
やり様によっては社会的な重大な病巣を炙り出し、
その摘発と是正に十分に力を発揮出来る事を証明したと言えるのだろう。

そして明らかになったのは、
「弱者救済を唄いながらこっそり税金をチュウチュウしてる連中がいる。」という単純な問題ではなく、
日本国内に数々の得体の知れない団体・NPO・組織がたくさん存在していて、
それらが互いに共闘・連携・支援・弁護し合いながら、
国民の善意を利用してあらゆる事業や活動、イベントやプロジェクトを狙い、
税金や支援金、募金などを自分達の勝手な活動資金として搾取しているという、
戦後最大の「善意悪用スキーム」類似モデルの一斉摘発という、
一大社会病巣の摘発と解消の運動となっていくのではないかと思っている。

そして、
これからも続々と炙り出されてくるであろうそうした組織、
互いに緩やかな連携を保ちながらアメーバーのように繋がる組織体の裏に、
手広く菌糸のように巣喰う共産党とそのシンパの根を完全に気づいて断ち、
税金や公的支援金、善意の浄財などを確実に守る、
社会の浄化につながる大きな運動の端緒となるだろうと私は予想している。
暇空氏の事件以来、
私達も自分の力量に応じてネットに目を配りつつ生きる必要があるという思いに、
何か日々励まされているような気分の今日この頃である。
次回もまた、よろしくお願いいたします。<(_ _)>
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